source: 映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
終戦末期を舞台に19歳の少女の許されぬ恋を描く「この国の空」。戦時下の話にしては“食べる”場面が多いなぁ…。
1945年、終戦間近の東京、杉並。母と叔母と一軒家で暮らす19歳の里子は、空襲におびえて暮らしながら、自分は適齢期なのに、恋愛も結婚も知らないまま死んでいくのだろうかと不安を抱えている。そんな時、妻子を疎開させ、徴兵を免れた隣家に住む男性・市毛の世話をするうちに、里子は市毛に惹かれていく…。
1945年、終戦間近の東京、杉並。母と叔母と一軒家で暮らす19歳の里子は、空襲におびえて暮らしながら、自分は適齢期なのに、恋愛も結婚も知らないまま死んでいくのだろうかと不安を抱えている。そんな時、妻子を疎開させ、徴兵を免れた隣家に住む男性・市毛の世話をするうちに、里子は市毛に惹かれていく…。
実力ある脚本家である荒井晴彦監督が久し振りにメガホンをとった本作は、庶民の暮らしをリアルに描きながら、死と隣り合わせの非常時の中で思春期の少女が女に目覚める瞬間を切り取っている。ヒロインの里子は19歳。たとえもんぺをはいていても化粧っけなどなくても、一番美しい年齢だ。なのに彼女の周辺には若い男性はどこにもいない。年寄りばかりの町内では、妻子持ちとはいえ隣家の市毛は“マシ”な恋愛対象なのだ。里子の母親が明日死ぬかもしれない娘にとって市毛を受け入れるのが最善なのだと口にするのは、里子に対し、せめて男性と結ばれてから死なせてやりたいという戦時下ならではの屈折した母心だ。監督自身が自覚しているように、本作は、庶民のつつましい暮らし、男女の恋愛の機微など、名匠・成瀬巳喜男監督の影響がはっきりと見て取れる。終盤、ついに終戦という時、里子は戦争が終わる喜びや安堵より、戦争が終われば市毛の妻子が戻ってくる、自分の恋愛の行く末は…と心を悩ませる。戦争終結が決して単純な平和に結びつかず「これから自分の戦争が始まるのだ」と予見するラストは、この映画が成瀬の代表作「浮雲」のプロローグのように思えてならない。「そろそろ、そろそろ」という意味不明の擬音を発しながら畳の上を転がる二階堂ふみが、妙にエロティックだった。
【60点】
(原題「この国の空」)
(日本/荒井晴彦監督/二階堂ふみ、長谷川博己、工藤夕貴、他)
・この国の空@ぴあ映画生活