2016年6月16日木曜日

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source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック



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 人間の意識や感情はどう生じるのか。人工知能(AI)の将来像をめぐる論議の根っこには、そんな人類自身の自問があるのだろう。

 みなぎる情報を深く学び、驚異的な速さの判断と適応力を発展させるAIは将来、人間同様「自我」を意識し、困惑や苦悩もするか。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:毎日新聞 東京朝刊/2016年6月14日




 なんだか昨今のA.I.の進化に警鐘を鳴らす人工頭脳論なのかと思いきや、単なる『2001年…』の映画レビューになってますが(笑。

 ここで興味深いのは氏の「この長編小説・映画の壮大なテーマは、人類の知性とは、進化とは、文明とは何かを、宇宙規模で問うものだ。」との評。特に「宇宙規模」の部分ですね。ファンにとっては当たり前の論拠なんですが、なかなかここまで立ち入った論評にお目にかかれません。映画『2001年…』が今持って伝説的に語られるのはこの「宇宙規模」、つまり「宇宙側(超知性側)の視点で描いている」ことです。クラークの小説版は「人類側の視点」で描かれていましたし、人類側の視点で描かれたSF映画はその後数多く作られています。しかし「超知性側の視点で宇宙における人類の意義を問う」という大胆な試みとその成功例は『2001年…』しかありません。それが『2001年…』を「世紀の大傑作」「金字塔」たらしめている大きな要因ですね。

 まあ、キューブリックの場合、どの作品も「人間を俯瞰で客観的に見る視点」というのは共通しているのですが。これを理解せず通常の映画のように「人間側」あるいは「登場人物の視点」ありきで論評してしまうとトンチンカンな評になってしまいます。