2016年8月8日月曜日

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source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック



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 第一次世界大戦の独仏戦の最前線を描いた『突撃(原題:Paths of Glory)』は、邦題からドンパチがメインの戦争映画を想像するかもしれない。確かに、前半の塹壕戦での無謀な突撃は熾烈を極めるが、後半は一転して、形ばかりの軍法会議を通して戦争の矛盾と理不尽さを浮き彫りにする。当時、若手監督として頭角を現し始めていたスタンリー・キューブリックの企画を、大スター、カーク・ダグラスの強力な後押しにより実現した気骨のある秀作だ。(今祥枝)

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:シネマトゥデイ/2016年8月5日




 キューブリックは『突撃』について「戦争映画を撮ったつもりであって反戦映画ではない」といった内容のコメントを残していますが、それはちゃんと本作を観ればわかります。ダックス中佐は理不尽な作戦内容に対して反対したのであって、戦争そのものに反対しているわけではありません。なのになぜが本作は「反戦映画」としてひとくくりにされてしまう傾向があるようです。それは原作小説が反戦小説の傑作として認知されてる影響もあるようです。

 ここでのキューブリックのスタンスは、「戦争という巨大なシステムを人間という不確実な存在が扱う危うさに対する警鐘」もしくは「その危うさそのものが戦争の本質である」という指摘です。「上官の理不尽な命令で失わなくてもいい命が無駄に失われる」というプロットの根幹は『突撃』も『博士…』も全く同じで、真面目なドラマにしたかブラックコメディにしたのかの違いでしかありません。キューブリックが『博士…』を一旦は真面目なドラマにしようとしたものの、結局ブラックコメディに改変したのは、この『突撃』を「反戦映画」というレッテルでしか語られていないことが影響したのかもしれません。

 キューブリックは生涯で戦争というテーマを『恐怖…』『突撃』『博士…』『フルメタル…』と四度採り上げていますが、それは全て「戦争とは何か」を追求し、答えを探る試みでした。それを薄っぺらい「反戦映画」のレッテルでしか語れないとなると、キューブリックの真摯な問いかけに対して何も応えられいない、ということになってしまいます。上記の長文記事はなるほど、映画の紹介記事としては良く書けてはいますが、テーマについてはちょっと踏み込みが足らないな、という印象を持ちました。

 『突撃』について、もう一つ私の試みたことは、かつて一度も目にしたことのない偉大なる戦争映画への挑戦だった。実際、反戦映画と言われるものはすべて、戦争というものは醜く、汚辱に満ち、恐ろしいだけのものとして描いている、といったことに終始し、戦争の全側面についての真実は描いていない。完全に真実でないものは、映画において、それほど良くないということである。

 偉大な戦争映画などは、おそらく永遠に存在し得ないだろう。もし存在するとしたら、戦争以外のなにものでもないはずだ。

『ザ・スタンリー・キューブリック』より)