2017年10月13日金曜日

【関連作品】キューブリックが『2001年宇宙の旅』の参考に観た日本のSF映画『宇宙人東京に現る』

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック



英題は『Warning from Space』もしくは『Mysterious Satellite』、監督は島耕二。



 最近、Twitterで『ゴジラ』の本多猪四郎監督宛にキューブリックが贈ったサイン入り『フルメタル・ジャケット』のシナリオ・フィルムブックが古書店で発見され、話題になっていました。


 実はキューブリックは『2001年…』の制作に際し、参考になりそうな古今東西のSF映画を片っ端から観ていて、それは以前この記事この記事でご紹介した通りです。その「片っ端から観たSF映画」の中には日本の作品も含まれてました。そのひとつがこの『宇宙人東京に現る』です。

 ソースは以下になります。

 1957年、アレグサンダー・ウォーカーは、キューブリックのニューヨークのマンションで『突撃』についてのインタビューを行った。インタビューが終わり、ウォーカーが去ろうとすると、映画のフィルムがキューブリック宛に配達されてきた。ウォーカーがその題名を見ると、日本のSF映画だった。ウォーカーはキューブリックに向き直り、「宇宙映画をつくるのか」と尋ねた。キューブリックは「お願いだ。書くことには気をつけてくれ」と言って、ウォーカーを睨みつけた。

(引用先:『映画監督 スタンリー・キューブリック』

In his biography of Stanley Kubrick, author John Baxter traces Kubrick's interest in science fiction films, which led to his 2001: A Space Odyssey, to the Japanese kaiju eiga films of the 1950s, including Warning from Space, with its "nameless two-metre-tall black starfish with a single central eye, who walk en pointe like ballet dancers."
Baxter notes that despite their "clumsy model sequences, the films were often well-photographed in colour ... and their dismal dialogue was delivered in well-designed and well-lit sets."

(引用先:wikipedia/Warning from Space


 『宇宙人東京に現る』は1957年に英国のBBFCによって『Warning from Space』として英語化されました。『突撃』のニューヨーク公開が1957年12月25日ですので、それに合わせてキューブリックがニューヨークに滞在、そこにウォーカーがインタビューを申し込んだのなら、この時期だと特定できます。キューブリックは長年SF映画、それもUFOや宇宙人に関する映画を撮りたがっていたのはよく知られています。そのキューブリックの興味を惹き、なおかつこの時期に英語で観ることができた作品なら、上記の「日本のSF映画」とは『宇宙人東京に現る』だと言えるでしょう。また、ジョン・バクスターの『Stanley Kubrick: A Biography』(未邦訳)には「1950年代のいくつかの怪獣映画といっしょに観た」とありますので、それに『ゴジラ』が含まれていた可能性があります。

 このように「知る人ぞ知る」映画までチェックしていたキューブリックが、大ヒット作であり、その後の数々のモンスター映画に影響を与えた『ゴジラ』を観ていない可能性は低く、その監督である本多猪四郎の名前を知っていてもおかしくはありません。『フルメタル…』のシナリオ本をサイン付きで贈ったのも本多猪四郎をリスペクトしてのことでしょう。キューブリックが黒澤明の大ファンであったことはよく知られた事実です。また、当時海外で有名とまでは言えなかった手塚治虫に『2001年…』の美術監督をオファーするほど、細かいところまでリサーチしていた(これはもう「偏執狂的リサーチマニア」といっていいほど)キューブリックが、本多猪四郎を知らないはずがありません。キューブリックは人種や国籍に関係なく、「優れたものは優れている」と評価する監督でした(「だから私はそれよりもいいものを作らなければならない」とも語っていた)。本多猪四郎とキューブリックの間に、手紙のやりとりなど直接的な交流があったかどうかはわかりませんが、このように状況証拠を積み上げるだけでもキューブリックのリサーチエリアの広さを伺い知ることがます。もっとも本人は極度の出不精だったので、連絡はいつも電話や電報、手紙(のちにFAX)が主だったようです。

 1964年になるとキューブリックは『2001年…』の制作を本格化させますが、その頃になってもリサーチを欠かしませんでした。そうなると本多猪四郎監督の他のSF映画『地球防衛軍(The Mysterians)』『大怪獣バラン(Varan the Unbelievable)』『宇宙大戦争(Battle in Outer Space)』『妖星ゴラス(Gorath)』なども観た可能性は十分あります。それに、たとえ上映中でなかったとしても配給会社からフィルムを取り寄せて自宅で観ることができたのですから、それこそ(アメリカやイギリスの配給会社が買い取った)世界中のSF映画を観ていたと考えてよさそうです。そう考えれば本多猪四郎をキューブリックが知っていたのはもちろんのこと、「よろしければどうぞ」的に本を贈るくらいのリスペクトを示す関係に疑問を挟む余地などない、と言えるでしょう。