source: 映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
プロのボクサーとしてデビュー後、トレーニングに明け暮れる新宿新次とバリカン建二。復讐を誓った因縁の相手・裕二との対戦が決まった新次だったが、母から、兄貴分の建二の父が自分の父の自殺に関わっていることを知らされる。一方、建二は、心惹かれる女性と出会ったりもするが、父親との確執から逃れられずに孤独を抱えていた。建二は新次に特別な感情をいだくようになるが、二人は別々の道を行き、やがてリングで対戦することになる…。
寺山修司の長編小説を前後篇の2部作で描く人間ドラマの後篇「あゝ、荒野 後篇」。私はこれを前後編一気に見たので、1本の映画ととらえてしまったが、あくまでも前篇と後編の2本の作品だ。前篇のレビューはまだ作品の半分だけという意味で暫定の点数を付け、評価をしない状態で保留にしていたが、実は前篇が後篇よりはるかに素晴らしい。後篇は複数のエピソードと人間関係のつながりをまとめようと必死で(しかも、今一つまとめきれてないのが残念!)、物語そのものがトーンダウンしてしまっている。新次と建二は、逃れられない運命にからめとられるように、リングで戦うことになる。それは必死でつながろうとする愛の形ではあるが、新次と建二が戦わねばならない理由だけでもしっかりと掘り下げてほしかったところだ。
それでもこの5時間近い作品には、見所がたくさんある。まず菅田将暉とヤン・イクチュンの二人の役者が素晴らしいことだ。一人一人でも魅せる俳優たちだが、二人が揃うことによって不思議な化学反応が生まれている。さらに、かなり頑張って身体作りやトレーニングをしたであろうボクシングシーンの迫力がすごい。クライマックスで新次と建二は拳を交えることになるが、これは二人だけが分かる“会話”だと伝わり、ボクシング映画としては文句ない出来栄えである。もともといわゆる商業映画ではなく、一種のカルト・ムービーのような作品なのだから、すべてを収束する必要はないのかもしれない。“これでいいのか? つながったのか? これで生きていると言えるのか?”との問いかけが、残像のように残ることこそが、寺山修司作品の意匠なのだという気がする。現代に寺山がもしいたら、この意外性を楽しむことだろう。
寺山修司の長編小説を前後篇の2部作で描く人間ドラマの後篇「あゝ、荒野 後篇」。私はこれを前後編一気に見たので、1本の映画ととらえてしまったが、あくまでも前篇と後編の2本の作品だ。前篇のレビューはまだ作品の半分だけという意味で暫定の点数を付け、評価をしない状態で保留にしていたが、実は前篇が後篇よりはるかに素晴らしい。後篇は複数のエピソードと人間関係のつながりをまとめようと必死で(しかも、今一つまとめきれてないのが残念!)、物語そのものがトーンダウンしてしまっている。新次と建二は、逃れられない運命にからめとられるように、リングで戦うことになる。それは必死でつながろうとする愛の形ではあるが、新次と建二が戦わねばならない理由だけでもしっかりと掘り下げてほしかったところだ。
それでもこの5時間近い作品には、見所がたくさんある。まず菅田将暉とヤン・イクチュンの二人の役者が素晴らしいことだ。一人一人でも魅せる俳優たちだが、二人が揃うことによって不思議な化学反応が生まれている。さらに、かなり頑張って身体作りやトレーニングをしたであろうボクシングシーンの迫力がすごい。クライマックスで新次と建二は拳を交えることになるが、これは二人だけが分かる“会話”だと伝わり、ボクシング映画としては文句ない出来栄えである。もともといわゆる商業映画ではなく、一種のカルト・ムービーのような作品なのだから、すべてを収束する必要はないのかもしれない。“これでいいのか? つながったのか? これで生きていると言えるのか?”との問いかけが、残像のように残ることこそが、寺山修司作品の意匠なのだという気がする。現代に寺山がもしいたら、この意外性を楽しむことだろう。
【70点】(前篇90点+後篇50点÷2)
(原題「あゝ、荒野 後篇」)
(日本/岸善幸監督/菅田将暉、ヤン・イクチュン、木下あかり、他)