2020年2月28日金曜日

【スペシャルレポート】2020年2月16日に開催された『エンビジョニング2001』ダグラス・トランブル講演会のレポート

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


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左からダグラス・トランブル、ピアーズ・ビゾニーの両氏。

『エンビジョニング2001』ダグラス・トランブル講演会に関するレポート
by カウボーイ

 現在、ニューヨークの映像博物館、『ミュージアム・オブ・ムービング・イメージ』で開催されている『2001年宇宙の旅』の展示会、『エンビジョニング2001』の一環として、同作品の主要特撮スタッフであるダグラス・トランブルによる講演会が、2020年2月16日に行われました。

 講演前に展示会を、講演の後には『2001年…』の70mmバージョンを観ることができました。1月17日に行われた『エンビジョニング2001』の前夜祭同様に今回の講演もほぼ満員でしたが、人種のるつぼニューヨークであるにもかかわらず、今回は90%が白人。そして、その3分の2が男性でした。

 『未来映画術:2001年宇宙の旅』や『The Making of Stanley Kubrick's 2001』などの書籍を執筆した、宇宙歴史家で作家のピアーズ・ビゾニー氏もトランブル氏と一緒に登壇しましたが、ビゾニー氏は聞き手に回り、トランブル氏がメインで喋りました。技術的な内容はほとんどなく、また『2001年』の製作のみならず色々な話題へと話は及びました。トランブル氏は滑舌が良く早いスピードで喋り、年齢の割にお若いなあという印象を私は受けました。

 『2001年…』のプロジェクトが開始された時、そのニュースを知ったトランブル氏は、キューブリックのことは『突撃』の監督というレベルでの認識だったたそうで、『博士の異常な愛情』にはぶっとばされましたね、と淡々と述べていました。ですが、氏が特別にキューブリックを追っかけていたわけではなかったようです。しかし若きトランブル氏は『2001年…』の企画に惹かれて懸命に自分を売り込み、その後2年半に渡ってキューブリックのそばで仕事をしたことは、自分のキャリアを予期せずして全く違うレベルへ運んで行ってくれたとおっしゃっていました。氏にとってキューブリックとは『グル(導師、教祖、教師)』だそうです。

「もうひと頑張りしろ。そして、これまで誰も行かなかった所まで行け。そうすれば、作品は他のどれにも似ていない唯一のものになる」

その教えをグルから与えられたそうです。

 初めて会った時のキューブリックの第一印象は『マッドな天才』。それはもちろんポジティブな意味においてであり、彼はものすごい速さで喋り、物事を先へ先へと考え、知識の量は底なし。キューブリックは既成の方法をなぞることには嫌悪感さえ抱いており、「もう既にそういう方法があるのなら、俺は逆の方法でやる」と、真っ向から既存のものに逆らうというやり方を徹底していたそうです。

 他のクルーが生命維持装置に閉じ込められたまま、ボーマン一人がスターゲートに入るというプロットに関して、20代前半の若き無名アーチストであるダグラス・トランブルが、大胆にも上司であるキューブリックに「残りのクルーも退場させるべき」と抗議したというエピソードがあります。その際にキューブリックが放った言葉は、書籍『2001:キューブリック、クラーク』でも紹介されていますが、本を読む限り、私はキューブリックがFワードを交えながら、例の渋いトーンの声で、クールにしてぞっとするような厳しい口調で喋ったのだと勝手に想像していました。

 ところが、それを言われた当人のトランブル氏が、当時のキューブリックの口調を再現しながら語ったのを聞いた時、私は「ああ、やはりキューブリックは下町のサウスブロンクス出身だったのだなあ」と感慨深く思いました。一語一句が正確な翻訳ではありませんが、以下のような感じです。これぞ講演会でしか知ることができない生々しい世界です。

「うるせえよ! お前は自分の仕事だけしてろ。俺の仕事に口出しすんな。とっとと俺の部屋から出てけ!」(『2001:キューブリック、クラーク』206ページ参照)

 まだ血気盛んな30代後半のキューブリックが若僧トランブルに神経を逆なでされ、かんしゃくを起こしたような雰囲気だったようです。本のインタビューで語っていたことを、今回の講演でもキューブリックの口真似を交えて語ったということは、50年以上が過ぎた現在でもトランブル氏にとってその時の体験は、よほどのトラウマになっているのでしょうか? 皮肉なことに、その出来事があった翌日のトランブルの仕事は、3人の宇宙飛行士が殺害されるシーンで使用されるモニター映像のアニメーションを製作することだったそうです。

 ヒトザルと人間を導いた地球外知性体を映画でどう描くかと皆で色々と議論し合い、ダン・リクターがそれを演じることになりましたが、最終的には地球外知性体を出さない方が説得力があるという結論に落ち着きました。トランブル氏によると、その地球外知性体はほぼ完成しており、もう少しのところだったそうですが、単純に時間切れのために採用されなかったそうです。完成が間に合っていれば『2001年…』は全く違った印象の映画になっていたかもしれません。

 『2001年…』は我々の想像、理解、知識を越えたことに対して感覚的に思いをめぐらせる映画なので、決して「スターチャイルドはイエス・キリストの蘇りだ」というような安易な文学的解釈は避けた方がよいともトランブル氏はおっしゃっていました。公開当時に『プレイボーイ』誌のインタビューでキューブリックが語った内容が、『2001年…』に関する最も充実した彼自身による解説だそうです。

 トランブル氏が携わった『ブレードランナー』は『2001年…』とコインの表裏一体のようなポジションにありますが、我々の将来はどちらになると思いますかという質問がビゾニー氏から出されました。するとトランブル氏は一瞬考えたのち、「その質問は、トランプを排除した後に改めてしてくれ」と言い場内には笑いと拍手が起こりました。

 そして、講演の最後に独自の宇宙観について質問されたトランブル氏は、少し極端な考えなんだけど、と断った後に次のような持論を語りました。

宇宙の80%ほどは我々よりも高い知性に占められている。そして、それらの知性は我々を待っている。

場内は静かに唸りました。さすが『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』『ブレードランナー』『ツリー・オブ・ライフ』に命を吹き込んだアーチストの一人です。今の自分がいるのは、エンジニアの父とアーチストの母がいたからだという氏のコメントにも、私には納得がいきました。


    
 「これまで誰も行かなかった所まで行け」のエピソードが出た時、私はキューブリックの運転手であったエミリオ・ダレッサンドロが語り下ろした本、『Stanley Kubrick and Me』におけるダレッサンドロとキューブリックのある会話を思い出しました。

 キューブリックは2年間、休みなしで『アイズ…』の製作に打ち込み、ダレッサンドロによれば、仕上げ段階では睡眠時間を削りつつ限界まで自分自身を追い込み、ようやくほぼ完成した作品のプリントをニューヨークへ送り、そこでワーナーの幹部2人とクルーズ、そしてキッドマンだけに披露しました。

 その週の金曜日の夜、書斎のデスクに座ったキューブリックが頭を垂れたまま、椅子の上で体を前後左右にぐらぐらと揺らせていました。手は椅子の肘掛けをつかんでいました。その場に来たダレッサンドロがどうしたのかと心配してキューブリックに尋ねたところ、「だめだ、できない、エミリオ。立ち上がることができない」と言ったのです。そして日曜日の朝にベッドで亡くなっているところを発見されました。享年70才。死因は重度の心臓発作。ドキュメンタリー映画『キューブリックに魅せられた男』によると、キューブリックはベッドの脇に置かれた酸素ボンベに手を伸ばした体勢で亡くなっていたそうです。

 孫を含む家族がいるにもかかわらず、自分の作品のためには命を削ってでも行くところまで行くキューブリックは、現代において稀有な芸術家であったのだと、トランブル氏の今夜の語りを聞き改めて実感しました。講演会の後の『2001年宇宙の旅』の心への沁み方は、やはり深かったです。

レポート・写真撮影:カウボーイさま




 現在ニューヨークの映像博物館で開催中の『エンビジョニング2001』で、2020年2月16日にダグラス・トランブル氏の特別公演があり、そのレポートが届きましたの皆様にご紹介します。

 司会進行役のピアーズ・ビゾニー氏は『未来映画術:2001年宇宙の旅』や『The Making of Stanley Kubrick's 2001』でファンにもおなじみの人物ですね。レポート中にある『プレイボーイ』誌のインタビューは書籍『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』に掲載されています。完成していたという地球外知的生命体は「ポルカ・ドットマン」のことで、これを演じていたのは猿人を演じたダン・リクターです。キューブリックがインタビューで「最後になって見込みのあるものが出てきた」とは、やはりポルカ・ドットマンのことだったようです。

 あとは管理人が付け加えることはないでしょう。トランブルでしか知り得ない生々しい証言の数々、トランプに関するジョーク、キューブリックの(東京で言えばべらんめぇ調の)逆ギレ(笑。参加したものしか楽しめない、興味深いエピソードが満載でとても羨ましい限りです。

 カウボーイさまがおっしゃる通り、キューブリックはまさしく文字通りに「命を削って」私たちに作品を届けてくれました。それはキューブリック本人は元より、トランブルをはじめとする優秀なスタッフや俳優たちにも多大な重圧と試練を与えるものでした。しかし、それに打ち勝ったからこそ『2001年…』は現在の姿でここに在るのです。

「もうひと頑張りしろ。そして、これまで誰も行かなかった所まで行け。そうすれば、作品は他のどれにも似ていない唯一のものになる」

 キューブリックのこの強固な意志とそれを実現した実行力、そしてそれを支えた俳優・スタッフたちの献身的な努力には敬服するしかありませんが、それを「ブラック(な現場)」としか言えない人に、キューブリック作品を語る資格があるのか? その答えは読者の皆様がよくご存知のはずだと思います。

 なお、レポートにありますキューブリックのパーソナルアシスタント兼運転手、レミリオ・ダレッッサンドロの回顧録『Stanley Kubrick and Me(スタンリーと私)』は、現在地方で上映中の『キューブリックに愛された男』の底本に当たるのですが、日本の出版社さまにはぜひ邦訳をお願いしたいですね。

 そして前回同様、今回もこのレポートを送ってくださいましたカウボーイさまのご好意により、この『エンビジョニング2001』の展示物の画像をご提供いただきましたので、読者の皆様にシェアしたいと思います。ネタバレ回避のため圧縮ファイル(zip)をダウンロードする形とさせていただきますのも前回と同じです。くれぐれも画像の取り扱いは個人利用の範囲内(自分用の資料など)とし、ネットに再アップするなどの行為はご遠慮いただきますよう、宜しくお願いいたします。

 ダウンロードはこちらからになります。

 それでは改めまして、この素晴らしいレポートと写真を届けてくださいましたカウボーイさまには最大級の感謝を!