source: 映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
報道パパラッチとなった孤独な男の狂気を描く問題作「ナイトクローラー」。激ヤセのジェイク・ギレンホールの怪演が見もの。
学歴もコネもなく仕事にあぶれた孤独な男ルーは、ある時、事故や事件の凄惨な映像を撮ってはテレビ局に売る映像パパラッチ、通称“ナイトクローラー”という稼業を知る。ルーはすぐさまカメラと無線傍受器を手に入れ、事件現場、事故現場に駆け付けては映像を撮影するようになる。やがて、彼の過激な映像は、高値でテレビ局に買い取られるようになるが、視聴率を求めるテレビ局の要求はエスカレート。それに応えるルーの行動は常軌を逸していく…。
視聴率を取るためより刺激的な映像を求めるテレビ局が倫理を逸脱するなら、それに応えるパパラッチもまた一線を超えるしかない。いや、何よりも扇情的な映像を求める大衆の欲望こそ罪深いのか。このクライム・サスペンスはジャーナリズムの倫理観を揺さぶるものだが、主人公ルーを演じるジェイク・ギレンホールの、薄気味悪い熱演がすさまじく、次第にルーは歪んだ現代社会が生んだアンチヒーローに見えてくる。社会的には負け犬だがプライドだけは高いルーは、母親ほどの女性ディレクターを口説いたり、同業者を罠にハメたりと、すべての言動が異様なのだが、それにいちいちもっともらしい理屈をつけて、自己を肯定し肥大化するのが何とも不気味だ。彼にこきつかわれて反撃しようとしたアシスタントの顛末をみれが、ルーがもはやモンスターと化していることがよくわかるだろう。優しげな好青年というルックスのギレンホールが、役作りで激ヤセし、ギョロリとした目をギラつかせる様は、まさにサイコパス。彼の演技が「タクシードライバー」のデ・ニーロのようだと賞賛されたのも納得だ。ハイエナのように夜のLAを駆けずり回る男の物語は、どす黒いハッピーエンドで幕を閉じる。過激な競争社会と他人の不幸を追い求める現代社会の病巣の実態を、冷徹に切り取ったダン・ギルロイ監督の手腕に脱帽した。
学歴もコネもなく仕事にあぶれた孤独な男ルーは、ある時、事故や事件の凄惨な映像を撮ってはテレビ局に売る映像パパラッチ、通称“ナイトクローラー”という稼業を知る。ルーはすぐさまカメラと無線傍受器を手に入れ、事件現場、事故現場に駆け付けては映像を撮影するようになる。やがて、彼の過激な映像は、高値でテレビ局に買い取られるようになるが、視聴率を求めるテレビ局の要求はエスカレート。それに応えるルーの行動は常軌を逸していく…。
視聴率を取るためより刺激的な映像を求めるテレビ局が倫理を逸脱するなら、それに応えるパパラッチもまた一線を超えるしかない。いや、何よりも扇情的な映像を求める大衆の欲望こそ罪深いのか。このクライム・サスペンスはジャーナリズムの倫理観を揺さぶるものだが、主人公ルーを演じるジェイク・ギレンホールの、薄気味悪い熱演がすさまじく、次第にルーは歪んだ現代社会が生んだアンチヒーローに見えてくる。社会的には負け犬だがプライドだけは高いルーは、母親ほどの女性ディレクターを口説いたり、同業者を罠にハメたりと、すべての言動が異様なのだが、それにいちいちもっともらしい理屈をつけて、自己を肯定し肥大化するのが何とも不気味だ。彼にこきつかわれて反撃しようとしたアシスタントの顛末をみれが、ルーがもはやモンスターと化していることがよくわかるだろう。優しげな好青年というルックスのギレンホールが、役作りで激ヤセし、ギョロリとした目をギラつかせる様は、まさにサイコパス。彼の演技が「タクシードライバー」のデ・ニーロのようだと賞賛されたのも納得だ。ハイエナのように夜のLAを駆けずり回る男の物語は、どす黒いハッピーエンドで幕を閉じる。過激な競争社会と他人の不幸を追い求める現代社会の病巣の実態を、冷徹に切り取ったダン・ギルロイ監督の手腕に脱帽した。
【75点】
(原題「NIGHTCRAWLER」)
(アメリカ/ダン・ギルロイ監督/ジェイク・ギレンホール、レネ・ルッソ、ビル・パクストン、他)
(怪演度:★★★★★)