source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
※『アイズ…』を撮影中のキューブリック
キューブリックは芸術的成功だけではなく、商業的成功も常に目指していた。キューブリックが興行収入にこだわったのは「金を稼がないと好き勝手に映画を撮らせてもらえない」という映画界の現実を身をもって(特に『スパルタカス』で雇われ監督に甘んじた経緯)知っていたからだ。今回は日本ではあまり語られてこなかった制作費と興行収入の面からキューブリック全13作品を検証してみたいと思う。
尚、データはIMDbのボックスオフィスの項目から引用しているが、不足分は『キューブリック全書』から引用した。日本での興収は『イメージフォーラム・キューブリック』からの引用だが、全ての上映時の興収が記載されていなかったので、上映の情報はあっても興収のデータの掲載がないものは省略した。制作費は全て概算、興行収入は総額、円換算は公開当時のレートを参考にした。もちろんこれにはTV放映料、レンタルビデオの収入やセルビデオ・DVD・BDの販売料金等は含まれていないので、実際に作品が稼いだ全収益はこれよりも多いと思われる。ただ、記載の金額がどこまで正確なのかわからないので、厳密な金額とは考えず概算程度に留めておくべきだろう。
恐怖と欲望 Blu-ray(amazon)
『恐怖と欲望』(1953)
制作費…33,000ドル(約1,188万円)
※1ドル=360円で計算
興行収入…データなし
当時ずぶの素人だったキューブリックがよく1,000万円もの製作資金を集められたものだと思う。キューブリックはユダヤ人であり、富裕層が多い人脈を活かせたというのは間違いないだろうが、周囲の人間にその才能を認められていたという事実も見逃せない。
非情の罠 [DVD](amazon)
『非情の罠』(1955)
制作費…75,000ドル(約2,700円)
※1ドル=360円で計算
興行収入(スペイン)…57,944ユーロ(約695万円)
※1ユーロ=120円で計算
『恐怖…』が全く稼がなかったにもかかわらず、その倍の資金を集めるのだから大したもの。興行規模は世界公開(日本でも短縮版で公開)だったので、ある程度は稼いでいると思われるが、制作費が回収できるほどではなかったようだ。スペインでは約695万円の興収(期間は不明)をもたらしているようだが、他国のデータがないので世界興収は不明。
現金(ゲンナマ)に体を張れ [DVD](amazon)
『現金に体を張れ』(1956)
制作費…320,000ドル (約1億1,520万円)
※1ドル=360円で計算
興行収入(公開後2年間)…30,000ドル(約1,080万円)
※キューブリック全書より
興行収入(スペイン)…269,337ユーロ(約3,232万円)
※1ユーロ=120円で計算
興行収入(日本・公開時)…513万円
興行収入(日本・1986年リバイバル時)…700万円
ハリウッドデビューの本作でやっと制作費1億円越え。それでも低予算だ。興収は公開後2年間でたった約1,080万円とはユナイテッド・アーティスツの弁だが、日本だけでも500万円の興収があったのでこの数字はおかしい。『全書』にはハリスが「UAが全権利を抑えた途端、利益を出し始めた」と語った、とある。業界内で評判の良かった『現金…』の全権を掌握してから積極的に宣伝し、利益を挙げたいというUAの思惑が透けて見える。スペインでは約3,232万円(期間は不明だがリバイバルを含んだ数字だろう)との事だが、全世界の興収が知りたいところだ。
突撃 [DVD](amazon)
『突撃』(1957)
制作費…935,000ドル (約3億3,660万円)
※1ドル=360円で計算
興行収入(スペイン・2001年末時点)…899,327ユーロ (約1億円)
※1ユーロ=120円で計算
興行収入(日本・公開時)…506万6,474円
予算規模も順当にアップ。この内カーク・ダグラスのギャラが350,000ドル(約1億2,600万円)だった。この作品までキューブリックは監督料を受け取っていなかった。興収はスペインが約1億円。ただしこれは近年までを含んでいて、公開時は日本の約500万円が正しいとすれば全世界でもせいぜい1~2億程度か。カークは「全く稼がなかった」と語っていたが、実際その通りだったようだ。
スパルタカス [Blu-ray]
『スパルタカス』(1960)
制作費…12,000,000ドル(約43億2,000万円)
興行収入(世界・初公開時)…14,600,000ドル(約52億5,600万円)
※キューブリック全書より
※1ドル=360円で計算
興行収入(世界・1998年時点)…60,000,000ドル(約720億円)
興行収入(アメリカ・1998年時点)…30,000,000ドル(約360億円)
※1ドル=120円で計算
興行収入(日本・公開時)…7,800万円
興行収入(日本・1968年リバイバル時)…1,905万8,000円
興行収入(日本・1974年リバイバル時)…926万9,000円
さすがに歴史大作だけあって制作費も一桁違う。初公開時の興収はやっとトントンか若干赤か。その後リバイバル公開されてかなりの興収を上げている。キューブリックが経済的にやっと一息つけたのはこの作品のおかげだろう。しかもその恩恵をもたらしたのはカーク・ダグラスに他ならない。なのにそれを一顧だにせず、我を貫き通すキューブリックをカークが好意的に思うはずはなく、「才能あるクソッタレ」もさもありなん、といったところか。
ロリータ [Blu-ray](amazon)
『ロリータ』(1962)
制作費…2,000,000ドル(約7億2,000万円)
興行収入(全世界)…3,700,000ドル(約13億3,200万円)
※キューブリック全書より
※1ドル=360円で計算
興行収入(日本・公開時)…900万円(推定)
本作と『スパルタカス』は同時進行で制作されていて、『ロリータ』の映画化権を買うためにキューブリックとハリスは『現金…』の権利をUAに75,000ドル(約2,700万円)売り払っている。興収は制作費の倍稼いでいるが大ヒットという訳ではなかったようだ。
博士の異常な愛情 [Blu-ray](amazon)
『博士の異常な愛情』(1964)
制作費…1,800,000ドル(6億4,800万円)
興行収入(アメリカ・1965年末時点)…9,164,370ドル(約33億円)
※1ドル=360円で計算
興行収入(日本・公開時)…190万円
制作費がロリータより安いのが意外。日本では東京オリンピックと重なったため記録的不入りとなった(190万円は確かに酷い)本作だが、アメリカだけでもこの好成績を挙げている。キューブリック初の大ヒット作と言っていいだろう。この商業的成功が、次作『2001年…』制作への自信を深めたであろうことは想像に難くない。
2001年宇宙の旅 [Blu-ray](amazon)
『2001年宇宙の旅』(1698)
制作費…10,500,000ドル(約37億8,000万円)
※1ドル=360円で計算
興行収入(全世界・1973年時点)…31,000,000ドル(約93億円)
※1ドル=300円で計算
興行収入(全世界・2010年時点)…190,700,000ドル(約152億円5,600万円)
※1ドル=80円で計算
興行収入(日本・公開時)…1億4,478万円
興行収入(日本・1978年リバイバル時)…3億1,646万8,979円
よく『2001年…』はお金をかけすぎとの話がついて回るが、確かにスターが一切出演していないにもかかわらず『スパルタカス』並の制作費がかかっている。だが名作だけにその後何度も再上映され、2010年までに制作費の20倍近い金額を稼ぎ出した。ただもっと早い時点でもっと稼いでいればMGMの消滅は避けられていたかもしれない。
時計じかけのオレンジ [Blu-ray]
『時計じかけのオレンジ』(1971)
制作費…2,200,000ドル(約6億7,760万円)
興行収入(アメリカ・1973年時点)…26,589,355ドル(約81億8,952万円)
※1ドル=308円で計算
興行収入(日本・公開時)…3,746万円
キューブリックとワーナーの蜜月が始まる本作は、ワーナーにとっても「おいしい作品」だったことがこの興収から伺える。キューブリックはその暴力的内容から視聴制限をかけられるのを予想して極力予算を絞り込んだと思われるが、この大ヒットは本人にとっても意外だったのではないだろうか。
バリーリンドン [Blu-ray](amazon)
『バリー・リンドン』(1975)
制作費…11,000,000ドル(約33億円)
興行収入(アメリカ・1975年時点)…20,000,000ドル(約60億円)
興行収入(全世界・1975年時点)…31,500,000ドル (約94億5,000万円)
※1ドル=300円で計算
興行収入(日本・公開時)…1億2,478万円
ほとんどロケだったにも関わらず『2001年…』と変わらない制作費というのはやはりエキストラの多さと衣装代だろうか。興行的には失敗とよく言われる本作だが、データを見るとそんなに悪い成績ではないように思える。確かに足元のアメリカの興収が制作費の倍以下というのは、宣伝その他のコストを考えるとワーナーにとってはあんまり美味しいビジネスとはならなかったのだろう。キューブリックはこの時期『ナポレオン』を撮りたがっていたが、本作のこの成績を考えると、無理に実現していたら制作費の更なる高騰と興行的な失敗は確実。ひょっとしたら密かに胸をなで下ろしていたかもしれない。
シャイニング [Blu-ray](amazon)
『シャイニング』(1980)
制作費…19,000,000ドル(約47億5,000万円)
興行収入(アメリカ・1980年末時点)…44,017,374ドル(約110億円)
※1ドル=250円で計算
興行収入(日本・公開時)…2億263万4,000円
『バリー…』より制作費が高額なのは意外。セットが火事に遭い、まるまる建て直したのが影響しているのだろうか。ニコルソンの出演料以外は役者にそんなにお金はかかっていないはず。興収はアメリカだけでこの収益。「正真正銘のコマーシャル・フィルム」と語っただけのことはある。キューブリック起死回生の大ヒット作と言っていいだろう。
フルメタル・ジャケット [Blu-ray](amazon)
『フルメタル・ジャケット』(1987)
制作費…17,000,000ドル(約20億4,000万円)
興行収入(アメリカ)…46,357,676ドル(約55億6,290万円)
※1ドル=120円で計算
興行収入(イギリス・1987年時点)…2,983,460ポンド(約7億1,600万円)
※1ポンド=240円で計算
制作費は意外と安いのでは。セットはパリス・アイランドとダナンの基地と兵舎くらいで、あとはロケだったので安上がりだったのだろう。スターの出演がないのもコスト圧縮に貢献している。興収も引き続き高い数字を叩き出しているので、これならワーナーも納得だろう。
アイズ ワイド シャット [Blu-ray]
『アイズ ワイド シャット』(1999)
制作費…65,000,000ドル(約65億円)
興行収入(全世界)…162,091,208ドル(約162億円)
※1ドル=100円で計算
キューブリック作品中、制作費は最高額。ロケを嫌がったキューブリックがセットを多く建てた事と、スターであるクルーズの出演料(それでも破格の低価格だったそうだ)があったとはいえ、1年以上もの撮影期間中スタジオをセットが占領し続け、クルーズも長期間拘束され続ければこの高額も致し方なしか。興行収入はクルーズの人気とキューブリックの名声で余裕の100億円越え。キューブリック作品中最高の収益を上げているが、現代の世界的な映画市場の広がりを考えればこの数字は妥当か。それを考慮すると大ヒットとまでは言えないかも知れないが、ヒット作であることは間違いないだろう。
以上のように、キューブリックがいかに自作の芸術的側面と商業的側面を上手く融合させ、高いレベルを保っていた監督であるかが、これらデータから読み取ることができる。同時期の巨匠であるマイケル・チミノやフランシス・フォード・コッポラが興行的失敗によってハリウッドでの地位を失ってしまうのとは対照的に、キューブリックは最期まで「ハリウッドの全権委任」を確保し続けた。以前、キューブリックの商業指向を批判した監督がいたが、キューブリックはその生涯を映画に捧げた監督だ。私生活はとても地味で(まあ、単に映画制作以外に興味がなかっただけなのだが)ハリウッドの華やかなセレブ生活とは全く無縁だった。邸宅は確かに大きいが、自宅で仕事をするキューブリックがやたらと物を増やすために広い家が必要だっただけで、雑然とした邸宅の様子はラファエルの『アイズ・ワイド・オープン』にも記述がある。キューブリックの商業指向はあくまで「全ては映画制作のため」だったのだ。それを「金儲け主義」の文脈で批判するのは間違いであると、ここで改めて釘を刺しておきたい。