2020年11月8日日曜日

【関連記事】『フルメタル・ジャケット』マシュー・モディーンはどのようにしてキューブリックのビジョンを変えたか

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


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画像引用:IMDb - Full Metal Jacket

 ジョーカー二等兵自身が、スタンリー・キューブリック監督とのコラボレーションの重要な瞬間を分析します。これにはエンディングの変更も含まれます。

〈中略〉

別の結末

 自身の著書『フルメタル・ジャケット・ダイアリー』でも撮影中のエピソードを語っているモディーンは、脚本のエンディングがどのように変更されたのかについてIGNに語りました。元々は、エンディングで兵士たちが燃え盛る廃墟を歩いていて、ミッキーマウスクラブのテーマを歌っていた時にジョーカーが死ぬはずでした。「その場所に爆弾が落ちるはずだった」とモディーンは言いました。 そして「私の脳が爆弾から逃げるように、体を起こすようにと足や心に訴えている」とボイスオーバーが入る予定でした。

 「スタンリーはエンディングについて尋ねてきて、私は戦争の悲劇を示している、戦争の悲劇を示している、人間性の喪失を示している、と言ったんだ」 。キューブリックは何ヶ月にもわたってモディーンにジョーカーの運命と結末についてどう思うかを訊き続け、2人は喧嘩寸前までなりました。最終的にモディーンは「ジョーカーは生きるべきだ」と言った。「ジョーカーは教官を殺すべきだ」「ブートキャンブで友人を自殺で失い、ベトナムで少女の命を奪っても彼は生きるべきだ」とキューブリックにモディーンは説明しました。「それこそが戦争の真の恐怖であり、悲劇だからだ。ジョーカーのような経験をして、残りの人生を過ごす必要がある」と。

ジョーカーとアニマルマザー

 映画の中でアダム・ボールドウィンは、間違いなくジョーカーと衝突したキャラクターです。積極的に「アルファ」のアニマルマザーを演じました。実際、2人の間の最初の打ち合わせでは、ジョーカーの男らしさを疑うアニマルマザーに対し、ジョーカーはアニマルマザーの顎の下にM16を突きつけて脅しました。 「私たちはそれを数回撮影しました、そしてスタンリーは 『これはうまくいかないな』と言いました」モディーンもそう思いました。その後、キューブリックとモディーンはトレーラーに引っ込んでシーンについて話しました。モディーンは、実際にアニマルマザータイプに出会ったら、冗談を言うだけだと言いました。

 「私が懸念していたのはアイリス(カウボーイを演じたハワード)のような奴です」とモディーンは付け加えました。 「The little dogs with the big bite. With the big guys, it's the bigger they are the harder they fall.」。そのためシーンが変更になり、代わりにジョーカーはトレードマークの皮肉でアニマルマザーと対峙しました。 「私は別のジョン・ウェインのセリフを映画に取り入れたいと必死だったので、その1つを見つけました」「(ジョン・ウェインのマネで)クソからピーナッツを探して食え」。

最後の煙

 最後のシーンで、モディーンは「カメラマンとスタンリーは、暗くなったので「もっと火をつけろ」と言い続けていたのですが、私は「いや、煙をもっとたくさん」と言いました。そしてキューブリックに煙が映像を覆い隠すことはなく、そこにあったわずかな光を屈折させ、実際により多くの明かりをもたらすことを説明しました。 「知られているように、私が非常に誇りに思っている映画への技術的な貢献があります」

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:IGN/2020年11月7日




 記事にある「私の脳が爆弾から逃げるように、体を起こすようにと足や心に訴えている」というボイスーバーは、原作小説にはフエ市街突入時にジョーカーの小隊が攻撃を受け、ジョーカーが気絶するシーンがあり、そこで使われたいたセリフです。映画ではこのエピソードがカットされたので、セリフだけラストシーンに転用され、ジョーカーが死ぬことになっていたんでしょう。当初の脚本ではジョーカーの墓のシーンがあったので、ジョーカーがどのように死ぬのか興味があったのですが、ミックーマウス・マーチを歌いながら行進中に爆弾で死ぬ予定だったというのは初めて知りました。

 脚本段階ではこのような情緒的なシーンがいくつかあったようですが、最終的にはカットされました。結果、『フルメタル・ジャケット』は非常にドライな印象の作品になりましたが、この証言によるとその判断は決してキューブリックの独断でなかったことがわかります。おそらく(おそらく・・・ですが)当初脚本は、キューブリックと共同で脚本を担当したマイケル・ハーの影響が大きかったのだと思います。キューブリック自身も、この原作小説をどのように脚色すればいいのか、最終的な判断を撮影時まで保留していたのでしょう(キューブリック流のやりかた)。「撮影もひとつの創造」と語ったように、マシュー・モディーンにもアイデアを求め、いくつかのアイデアを採用しています。キューブリックは撮影時に俳優やスタッフにアイデアの提供を求めていて、それらのエピソードは書籍『2001:キューブリック・クラーク』でも語られていました(例えばポッドの中にボーマンとプールが入ってHALの停止を検討するアイデアはプールを演じたのゲイリー・ロックウッドアイデア)が、それはこの『フルメタル…』でも同じだったようです。

 日本人にはわかりにくいジョーカーの「ジョン・ウェインのモノマネ」ですが、ここでは「Pilgrim(流れ者)」がそれに該当するそうです。ジョン・ウェイン主演の『マクリントック』という映画があり、ウェインのセリフに相手を「Pilgrim」と呼ぶシーンがあり、それが元ネタなんだとか(ソースはこちら)。こういうジョークの類は元になる知識がないと面白さが半減してしまいますね。

 このシーン、当初はジョーカーがアニマルマザーの顎下にM16を突きつけるシーンの予定だったのですが、これと似たシーンが原作小説にあります。もっともジョーカーの相手はアニマルマザーではなく、居丈高なデブのMPだったのですが。デブMPなら銃で脅してもサマになったかも知れませんが、相手がマザーなら弱そうな奴が銃に頼って強そうな奴を脅しているように見えるので、同等に対峙できる「皮肉の応酬」に変更になったんでしょう。

 キューブリックは脚本段階では主にストーリーを練り上げるのですが、シーンについては撮影時のアドリブ(クラークはこれを「キューブリックの行き当たりばったり」と評している)を重視していました。それはこのようにキャスティングや撮影状況より、脚本段階では上手くいくと思われたシーンでも、実際映像にしてみると上手くいかない(キューブリック的には納得できない)ことがあることを知っていたからです。加えてキューブリックは他者のアイデアにオープンでした。多くの俳優やスタッフが自身のキューブリック作品における貢献を語るのはそういう理由からです。ただし、そのアイデアを採用するか否かはキューブリックの判断に委ねられます。こういった事実から、海外ではキューブリックの監督スタイルはよく「マエストロ(指揮者)」に例えられます。ですが残念ながら日本ではいまだに旧来的な監督像のまま語られることが多いようです。ですので、こういった当事者の証言からその旧来像が一刻も早く払拭されることを(特に映画関係者・映画系ライターや記者)願ってやみません。