source: 映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
終戦を迎えるまでの日本政府と軍部の舞台裏に迫る歴史ドラマ「日本のいちばん長い日」。岡本喜八版と比べて見るのも面白い。
大洋戦争末期の1945年7月。戦況が悪化する中、日本は連合軍からポツダム宣言受託を迫られる。連日、降伏か本土決戦かの閣議が行われるが結論は出ない。そんな中、広島、長崎に原爆が投下され状況はますます悪化。軍部と政府の板挟みになり葛藤する阿南惟幾陸軍大臣、天皇による“聖断”を仰ぎ閣議を動かしていく鈴木貫太郎総理大臣、そして国民を案じる天皇陛下…。一方で、一億玉砕を主張する畑中健二少佐ら若手将校たちは終戦に反対するクーデターを画策していた…。
原作は半藤一利によるノンフィクション。1967年には名匠・岡本喜八監督の手で映画化されている。本作は、実際の戦場や、庶民の視点ではなく、終戦を迎えるにあたり、政府と軍部がどんな思惑で動き、8月15日を迎えたかをよりドラマチックに描いている。一般庶民が決して目にすることがない、宮内庁のしきたりや御文庫、宮城(天皇の居室)、首相官邸などが緻密に再現されていて、それぞれの立場とやり方で、日本の未来を案じている様子を描写。本作では、67年版にはない昭和天皇が登場し、天皇は終戦を強く希望していたという立場を取っている。そのことについては様々な意見があるだろう。だが、ほとんど無表情で閣議に参加し、淡々とした声で玉音放送を読み上げる昭和天皇には、何の決定権もなく“現人神(あらひとがみ)”という名前の虚像だったのだと改めて思い知った。物語は、全面降伏するにしても国体維持など精一杯有利な状態にもっていこうと閣議を続ける人々の苦悩のドラマと、終戦を決定付けた玉音放送を阻止しようとラジオ局や皇居を占拠するクーデターを起こした若手将校たちの暴走がからみあって、サスペンスフルに展開。とりわけ、軍部と政府の板挟みになりながら現実路線を歩んだ阿南陸軍大臣の苦悩がくっきりと浮き彫りになっている。リメイクであること、結果がわかっている歴史的事件であることを差し引いても、緊張感を途切れさせない演出は、見ごたえがある仕上がりだ。毎年、8月になると戦争映画が多く公開される。戦争体験者が年々少なくなる現状を思うと、映画というメディアで語り継ぐ意義は大きいといえよう。
大洋戦争末期の1945年7月。戦況が悪化する中、日本は連合軍からポツダム宣言受託を迫られる。連日、降伏か本土決戦かの閣議が行われるが結論は出ない。そんな中、広島、長崎に原爆が投下され状況はますます悪化。軍部と政府の板挟みになり葛藤する阿南惟幾陸軍大臣、天皇による“聖断”を仰ぎ閣議を動かしていく鈴木貫太郎総理大臣、そして国民を案じる天皇陛下…。一方で、一億玉砕を主張する畑中健二少佐ら若手将校たちは終戦に反対するクーデターを画策していた…。
原作は半藤一利によるノンフィクション。1967年には名匠・岡本喜八監督の手で映画化されている。本作は、実際の戦場や、庶民の視点ではなく、終戦を迎えるにあたり、政府と軍部がどんな思惑で動き、8月15日を迎えたかをよりドラマチックに描いている。一般庶民が決して目にすることがない、宮内庁のしきたりや御文庫、宮城(天皇の居室)、首相官邸などが緻密に再現されていて、それぞれの立場とやり方で、日本の未来を案じている様子を描写。本作では、67年版にはない昭和天皇が登場し、天皇は終戦を強く希望していたという立場を取っている。そのことについては様々な意見があるだろう。だが、ほとんど無表情で閣議に参加し、淡々とした声で玉音放送を読み上げる昭和天皇には、何の決定権もなく“現人神(あらひとがみ)”という名前の虚像だったのだと改めて思い知った。物語は、全面降伏するにしても国体維持など精一杯有利な状態にもっていこうと閣議を続ける人々の苦悩のドラマと、終戦を決定付けた玉音放送を阻止しようとラジオ局や皇居を占拠するクーデターを起こした若手将校たちの暴走がからみあって、サスペンスフルに展開。とりわけ、軍部と政府の板挟みになりながら現実路線を歩んだ阿南陸軍大臣の苦悩がくっきりと浮き彫りになっている。リメイクであること、結果がわかっている歴史的事件であることを差し引いても、緊張感を途切れさせない演出は、見ごたえがある仕上がりだ。毎年、8月になると戦争映画が多く公開される。戦争体験者が年々少なくなる現状を思うと、映画というメディアで語り継ぐ意義は大きいといえよう。
【70点】
(原題「日本のいちばん長い日」)
(日本/原田眞人監督/役所広司、本木雅弘、本木雅弘、他)