2019年11月17日日曜日

【考察・検証】『シャイニング』のオーバールック・ホテルはなぜ原作から大幅に改変されたのか?を検証する

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


Stanley_Hotel
キングが執筆時に滞在し、原作とTV版の舞台にもなった「スタンリー・ホテル」

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キューブリックが映画化の際に外観に使用された「ティンバーライン・ロッジ」

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キューブリック版の内装のモデルになった「マジェスティック・ヨセミテ・ホテル(旧アワニー・ホテル)」

 『シャイニング』の舞台であるオーバールックホテル。小説版とスティーブン・キングが製作したTVドラマ版では実際にキングが投宿して小説を書き上げたスタンリー・ホテル、キューブリックの映画版では内装はマジェスティック・ヨセミテ・ホテル(旧アワニー・ホテル)、外観はティンバーライン・ロッジをモチーフにしたことはこの記事で説明しました。そして、なぜキューブリックは原作の「瀟洒な西洋風リゾートホテル」から「西部開拓時代の山小屋ロッジ風ホテル」にデザイン変更したのかは、この記事で説明しました。しかし、今回の記事では今まで誰も指摘してこなかった点を考察したいと思います。それは「撮りたい映像を撮る上での、技術的問題の解消による改変」という考察です。

 以下の動画はステディカム開発者であるギャレット・ブラウンのデモフィルムです。このデモフィルムは1974年に制作され、キューブリックも視聴したものです。1974年といえば『バリー・リンドン』を制作中。まだ次作は未定だったはずです。



キューブリックはこのステディカムの革新性に注目、いや夢中になったと言っても過言ではありません。その証拠にギャレット・ブラウンに装置の秘密が映ったネタバレ箇所をカットするように助言しています。このステディカムの特性を存分に発揮できる作品を撮りたい!とキューブリックが考えるのは自然の成り行きだと思います。

 さて、スティーブン・キングが書いた小説『シャイニング』はワーナーが映画化権を獲得しました。通常、キューブリック作品はキューブリックが映画化に値する小説を見つけ、それを自ら交渉(キューブリックは相手がキューブリックと知ったら根を釣り上げると考え、偽名を使うなどして作家にオファーしていた)によって獲得するのが常でした。しかし『シャイニング』の場合、1975年にワーナーが出版前のゲラをキューブリックに送ったのがきっかけで、それに興味を持ったキューブリックが映画化を決めた、という時系列になります。実は全13作品あるキューブリック作品のなかで、こういった経緯をたどって制作・公開したのはこの『シャイニング』だけなのです。

 キューブリックはこの小説『シャイニング』を読み、「ステディカムの特性を存分に生かした映像作品にできる」と直感したのではないでしょうか。ですが、小説のままだと以下の点で不具合があります。

(1)小説版は瀟洒でこじんまりとしたホテルが舞台なので、室内でカメラを自在に動かせない。

(2)襲ってくる消火器のホースや暴れるトピアリー(生垣動物)を説得力ある映像にできない。

CGのなかった時代、特に(2)は問題でした。実はキューブリックは「過去の成功体験を繰り返す」ということがあります。例えば『現金に体を張れ』でジョニーが強盗する際にかぶったピエロの仮面ですが、それは『時計じかけのオレンジ』でアレックスの強盗シーンでも繰り返されました。今回、ステディカムを知ったキューブリックが思い出したのは『突撃』の塹壕シーンでした。狭い塹壕をすり抜けるカメラ(この時はドリーを使った)が映し取った戦場を覆う言いようのない不安と恐怖・・・。キューブリックはその再現を狙ってホテルの室内や生垣を迷路にし(ウェンディがホテルを「まるで迷路ね」と感想を漏らす)、そこに双子の少女の霊や、斧を持って追いかける狂気のジャックを配置したのではないでしょうか。

結論:小説『シャイニング』を読む前にステディカムの革新性に夢中になっていたキューブリックは、その特性を存分に発揮できる小説を探していた。そこにたまたまワーナーが映画化権を獲得した小説『シャイニング』が届き、それを読んだキューブリックは「この小説ならステディカムを有効に使える。ただ、いくつか改変しなければならない」と判断し、ホテルの室内や生垣を『突撃』の塹壕シーンを成功を参考に迷路へと改変した。

 公には語っていませんが、キューブリックは実は『シャイニング』があまり気に入っていなかったのではないか、とさえ思っています。なぜならラストシーンについて「早い段階から小説の結末ではだめだと思っていた。驚異の屋敷が焼け落ちる、という常套手段は使いたくなかった」と語っているからです。このコメントをキングが知ったかどうかはわかりませんが、小説家に向かって「常套手段」などと口走ってしまえば相手がどう思うかは自明の理。現在まで続くキングのキューブリック批判は、「キューブリックの映画版は自分の小説の全否定」だと感じていたのだとすれば、それもやむなしかな、と思います。

 ところで余談ですが、「オーバールックホテルに巣食っている悪霊の正体は、かつてここを聖地としたネイティブ・アメリカンの怨霊」という考察。この考察自体はアメリカでは一部の評論家の間でかなり以前(おそらく1990年代)から言及されていて、管理人はそれを紹介しつつも独自の考察を盛り込んで記事にしました。日本人で管理人以前にこの考察をしていた方はいらっしゃいません。なぜなら、管理人が記事化する際に徹底的に調べましたが「たったひとつとしてこの考察を紹介した日本語の記事に行きあたらなかった」からです。ですので、現在この考察と似た論調でブログや動画を制作した方全員が当ブログを参考にしている(有り体に言ってしまえパクっている)とお考えいただいて構いません。もちろんそれを云々するつもありはありませんが、「しょせんその程度の連中の考察」と一笑に伏すべきものだとは思いますし、そうお考えいただいても間違いないでしょう。