2015年10月19日月曜日

【考察・検証】なぜキューブリックは『博士の異常な愛情』をマルチアスペクトで撮影したか?を検証する

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


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※タージドソン将軍の寝室のセットでミッチェルBNCで撮影するキューブリック

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※屋外の銃撃戦ではアリフレックスを使用している。このシーンは『プライベート・ライアン』の上陸シーンに影響を与えた。

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※B-52の機内もアリフレックス。機内の狭さもあるが、機体の揺れによる臨場感を表現するために手持ち撮影にこだわったのでは。

『博士の異常な愛情』のシーン別撮影アスペクト比
(フルサイズ収録の旧DVDを調査)

・雲海(空撮)…SD
・オープニング(資料映像)…SD
・基地(ミニチュアセットとレーダー)…EV(飛び立つB52のみ…SD)
・コンピュータ室(室内ロケ?)…EV
・リッパー将軍の寝室(セット)…EV
・B51の空撮(特撮)…SD
・B51の空撮(資料映像)…SD
・B52機内(セット)…SD
・タージドソン将軍の寝室(セット)…EV
・基地の各場所(ロケ)…SD
・基地内廊下(セット)…EV
・ペンタゴン最高作戦室(セット)…EV
・基地銃撃戦(屋外ロケ)…SD
・核爆弾でロデオ(特撮)…SDとEV
・核爆発(資料映像)…SD
・エンディングの核爆発(資料映像)…SD

※EV…ヨーロッパビスタ、SD…スタンダード



 まず気がつくのはこの作品には実際のB-52の映像や核爆発など資料映像(ライブラリー映像)が多く使用されていて、それらは全てSDだったという事実です。特にB-52の飛行シーンは資料映像と特撮を混在させていますので、当然特撮はSDで撮影しなければなりません。

 次にセットでの撮影は主にEVで行なわれている点にも注目です。ただ、B-52機内だけはSDです。また、ロケでも室内撮影(コンピュータ室など)はEVのようです。一方屋外ロケ(基地の各場所や銃撃戦)になるとSDで撮影されています。

 上記の写真を参考に単純に考えれば、ライティングやカメラの取り回しがしすいセットや広い室内ではミッチェルカメラでEV撮影をし、それが難しい狭いB-52の機内や、手持ち撮影の効果が欲しい屋外ではアリフレックスでSDで撮影しているように思えます。例の「核爆弾でロデオ」のシーンもEVで天地をカットすれば、背景の黒いレターボックスは見えなくなります。キューブリックは前作『ロリータ』でもEVでの上映を想定して撮影を行っていますので、この『博士…』でも同じだとすればマルチアスペクトでの撮影は単に技術的・映像効果的な問題でしかない、という結論になります。

 そうなるとビデオ化の際にキューブリックが指示したという「SDとEVの2種類混成で撮影しているので、この違いを出して欲しい」の意図がよく分からなくなります。一部で言われれいるように、もし観客に対して「核爆弾でロデオの喜劇性を強調するために、あえて背景のレターボックスを見せたい」というなら、EVで上映中の映画館に「SDで上映しろ」との指示が出るはずです。しかしそういった事実はありません。

 そうではなく、当時のテレビはSDだったため「上映時にカットしたSDの部分を見せてもいいから、フルサイズでビデオ化しろ。全部上下マスクしたままだと自分の窺い知れぬところで左右カット(当時はテレビ放映などでビスタサイズを勝手に左右カットでSDにし、それをオンエアしていた)をされかねない」という意図だったら理解できます。「喜劇性云々」はその指示に尾ひれがついただけなのかも知れません。

 正直に言えば、このマルチアスペクトでの撮影の意図が芸術的側面からきちんと説明できないのです。できるとすれば「核爆弾でロデオ」のシーンだけです。他のシーンにも何か「芸術的意図」が隠されているんでしょうか?上映時にはEVであったにもかかわらずキューブリックは劇場にクレームを出していないのに?

結論:『博士…』のマルチアスペクトでの撮影は技術的側面でなら説明できるが、芸術的側面からは「核爆弾でロデオ」以外説明できない。かといって技術的側面だけと言い切るには情報が少なすぎる。

 なんとも奥歯に物が挟まったような結論ですが、これ以上の検証は新しい証言や資料が発掘されない限り難しいです。管理人自身の考えも「技術的問題~芸術的意図」の間で揺れ動いています。新しい事実が判明したら、またここに加筆したいと思います。