2016年5月22日日曜日

【ブログ記事】スタンリー・キューブリックに届いた黒澤明のファンレターとその返信

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック



七人の侍 [Blu-ray](amazon)


 現在新たに邦訳中の「スタンリー・キューブリックのマスターリスト」の記事に、こんなエピソードが登場します。(旧翻訳記事はこちら)。

Seven Samurai(Akira Kurosawa, 1954)

Frewin: “What struck me immediately while looking through this ‘Master List’ was the conspicuous absence of Akira Kurosawa. Stanley thought Kurosawa was one of the great film directors and followed him closely. In fact I cannot think of any other director he spoke so consistently and admiringly about. So, if Kubrick was cast away on a desert island and could only take a few films, what would they be? My money would be on The Battle of Algiers, Danton, Rashomon, Seven Samurai and Throne of Blood…

“Talking of Kurosawa, a poignant tale: Stanley received a fan letter from Kurosawa in the late 1990s and was so touched by it. It meant more to him than any Oscar would. He agonised over how to reply, wrote innumerable drafts, but somehow couldn’t quite get the tenor and tone right. Weeks went by, and then months, still agonising. Then he decided enough was enough, the reply had to go, and before the letter was sent Kurosawa died. Stanley was deeply upset.”

『七人の侍』(黒澤明、1954年)

 フリューイン:この「マスターリスト」を通して見ている間、すぐに私が感じたことは黒澤明の明らかなる不在でした。スタンリーは、黒澤が偉大な映画監督のうちの1人であり、彼の忠実なフォロワーだと思っていました。実のところ、キューブリックが憧れを持って語る監督は、彼以外には考えられません。もしキューブリックが無人島に見捨てられるとして、そこに持っていく映画をいくつか選べるとしたら何を持っていくでしょう? お金ではありません。『アルジェの戦い』『ダントン』『羅生門』『七人の侍』『蜘蛛巣城』…

 黒澤に関する心打つ話:スタンリーは1990年代後半にクロサワからファンレターが届き、とても感激しました。それは、彼にとってどんなアカデミー賞よりも大きな意味がありました。彼は返信ついて悩み、数えきれない草案を書きました。しかし、どうしても気持ちを上手く表現することができませんでした。それから何週間も何ヵ月も悩み続けました。そして彼はもう十分だと、返事を書かなければと心に決めました。ところがその手紙が送られる前に黒澤は亡くなりました。スタンリーはひどく動揺していました。


 この証言者はアンソニー・フリューイン。長年にわたってキューブリックのアシスタントを務めた人物です。このエピソードに限らず、このリストにはキューブリックが賞賛した映画が大量に紹介されています。

 さて、昨日あたりから竹熊健太郎なる人物が「スタンリー・キューブリックは落ち込んだ時、町の映画館に行ってわざとB級・C級映画を観たのだという。「自分がもしこれと同じ脚本、同じ予算で撮ったとしても、これより酷い出来にはならない」と思って安心するためだ。」というデマツイートをしてリツイートされていますが、彼はこのリストをご覧になっていないんでしょうね(笑。ソースも確認せず、「自分だけが知っている事実!」と得意になって芸能人のプライバシーをツイートする「バカッター」並みの知能しか持ち合わせていないのでしょう(笑。

 確かにキューブリックは「どうしようもない映画を見続けながら、私はこう思ったものだ。私は映画製作に関して何も知らないが、これよりひどいものはどうやったってつくれない」という言葉を遺していますが(キューブリックの名言集はこちらこちら)、「自分がもしこれと同じ脚本、同じ予算で撮ったとしても、これより酷い出来にはならない」と思って安心するためだ。」というのはどこから来たんでしょうね?それにキューブリックのこの言葉は映画監督になる前の話で、映画監督になりたくてとりあえず片っ端から映画という映画を観まくっていた若い頃のエピソードです。それはファンなら誰もが知っている話です。

 先にも書きましたが、現在このマスターリストは全文を英訳中です。このリストにはキューブリックがインタビューなどで公式に賞賛した映画、そしてキューブリックが賞賛したのを見聞きした周辺の人物の一次情報のみを扱っています。それだけでもこんなにも大量にあるのです。キューブリックは自宅に映写室を持つ映画ファンでもありました。「私はいい映画に飢えている」という言葉もこのリストには紹介されています。この程度のソースも確認できない竹熊なる人物がキューブリックを語る資格などあろうはずがありません。まさしく「バカッターここに極まれり」ですね。