2016年8月12日金曜日

【考察・検証】ハンバートは何故キルティを殺したか?

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


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 なかなか理解しがたいハンバートの行動原理を、主にウラジミール・ナボコフの小説版をベースに検証してみました。

 ニンフェットしか愛せないし興味もないハンバートは歪んだ愛欲を持ってロリータを手中に収める。一方のロリータは初めは興味本位で義父と関係を持ったが、実母が死んだ事を知らされると義父との関係に心理的圧迫が加わる事になる。つまり「義父に棄てられると生きてゆく場所がない」というプレッシャーだ。そんな状況で真に義父を愛せる筈もなく、その後続く肉体関係はロリータにとって「生きてゆくために仕方なく身体を提供する行為」に変質してしまう。ハンバートはそんなロリータの真意に気付きもせず、相変わらずロリータを偏愛し、彼女の行動を制限してまで独占しようとする。

 こういった状況にロリータは深く傷ついたに違いない。そこからの「逃げ場所」を憧れていたキルティに求めたとしても何の不思議でもないだろう。そしてそれは口論したあの雨の夜、ロリータが家を飛び出して行ってしまうという事態まで発展する。

 その後二人は表面上は仲直りし車で旅に出るが、ハンバートは謎の追跡車に怯え、ロリータはキルティの許へ逃げ出すタイミングを伺うという奇妙な状態に陥る。そしてまんまとハンバートを騙し、ロリータは思惑通りキルティの屋敷に転がり込む事に成功する。しかし屋敷での生活はロリータが想像していた豊かで充実した日々にはほど遠く、キルティに失望しやがてそこからも逃げ出してしまう。

 一方のハンバートは狂ったようにロリータを探しまわるが見つける事はできず、結局諦めてしまう。しかしこの段になってもハンバートはロリータを肉体と心を持った一個の人間であることとは理解せず、相変わらず妄想著しいニンフェットとしてか認識できないままだった。

 ロリータがハンバートに宛てた手紙によって二人は再会し、そこに現れたロリータは単なる見窄らしい妊婦へと変わり果てていた。ここに至り、やっとハンバートは生涯を共にする伴侶がロリータであった事に気付くのだ。しかしロリータは「あなたと一緒になるくらいならキルティを選ぶ」とハンバートにとって決定的な三行半を突きつける。ロリータにとってハンバートとの生活(性生活)はそれほどトラウマになっていたのだ。

 そしてハンバートは伴侶としてのロリータを諦め、せめて最後だけでも父親らしくロリータの幸せを望み全財産をロリータに渡し、ロリータの将来を脅かす可能性があるキルティを排除する事にした。ハンバートは自分と同様の性的嗜好を持つキルティを危険視したのがその大きな理由と思われるが、ロリータを奪われてしまった嫉妬心や、ロリータを知らず知らずの内に苦しめてしまった贖罪の気持ちがあった(殺人犯として投獄されるのを覚悟している)のも否定できない。

 こうして検証してみると『ロリータ』という物語は一見ユーモアと性的好奇心のみで語られがちだが、単なる愛欲だけの物語ではなく、非常に重たいテーマの心理劇だという事が分かる。特にハンバートの愛欲に晒され続けるロリータの「性的被害者」としての心理は、キューブリック版でもライン版でも描ききれていない。ここを描かない事にはロリータのハンバートに対する決定的な一言(「キルティを選ぶ」発言)の重みが理解できないし、またそれを聞かされたハンバートがキルティを殺すという行動に出た理由が単なる嫉妬心で片付けられてしまう危険性がある。だがそれにはロリータとハンバートの性生活を描かなければならず、それは映画では規制の問題等で事実上不可能だ。つまり小説『ロリータ』は映画化に全く向いていない物語だと言えるだろう。

 キューブリックもその事には気付いていて、『2001年…』公開時のプレイボーイ誌のインタビューで「もし、この映画を撮り直すことができたら、私はナボコフと同じウェイトをかけて、彼らのエロティックな要素を強調するだろう」と応えている。

結論:ロリータの「あなたと一緒になるくらいならキルティを選ぶ」という決定的な一言で、キルティに対する嫉妬心とその罪深さ、そして図らずともロリータの弱みに付け込んで愛人に仕立て上げていた自身の罪の大きさに気付き、キルティを殺して自身も投獄されるという自滅の道を選ぶに至ったのだと結論づけられる。

 小説はその後ハンバートは獄中で手記という形でニンフェットとしてのロリータを記録に残していて、その内容は恍惚とした自画自賛に溢れている(真の愛情に目覚めてはいるので多少は自虐的だが)。つまり、この男ここに至っても懲りていないのである。この清々しいまでの変態っぷりは、読後にある種の、諦めにも似た笑いを誘うものになっている。そこにはキルティを殺した自責の念など微塵もなく、もし自分が裁判官で自分を裁くなら殺人罪ではなく強姦罪によって35年の刑を言い渡すと綴っている。つまりロリータとの性的関係は合意ではなかったと(やっと)自覚しているのだ。このハンバートの「罪の自覚」はキューブリック、ラインの両映画版からはほとんど伝わってこない。その理由は上記に示した通りだ。