2015年4月14日火曜日

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source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック






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戦争映画の両義性 見抜いたスタンリー・キューブリック



朝日新聞DISITAL/2015年4月12日






 朝日新聞がキューブリックを採り上げていたので読んでみましたが、予想した通り『フルメタル…』や他の戦争映画をダシに自らの政治主張へ誘導するという、中身スカスカ、結論ありきの単なるプロパガンダ記事でした(笑。しかもツイッターでこの記事を拡散するお仲間がワラワラと湧いて出てくる絶妙なる連係プレー。いやはや、皆様ご苦労様です。まあしかし、ここまで露骨だとまるで『時計…』のルドビコ療法みたいなものですね。よっぽど「何か」に洗脳したいのでしょう。



 キューブリックは戦争について、その悲劇性や醜悪さを指摘しつつもこんな事を言っています。



 「反戦主義というのが本当はどんなものか、わたしにはよくわからない。戦争を避けるためにヒトラーに降伏するのは、正しいことだったか?そうは思わないね。」



『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』より)




 つまり平和を求める(戦争を避ける)行為がかえって戦争を呼び込む危険性がある、という事です。このコメントからもキューブリックは安易な反戦主義や平和主義を快く思っていない事が分かります(『2001年…』が公開された60年代後半は全米に反戦運動が吹き荒れていた)。『突撃』でさえ反戦映画と呼ばれる事に不満を示していたくらいですからね。キューブリックはそんな戦争の是非論ではなく、それを起こす政治・軍事システムや人間性の本質に焦点を当て続けました。『恐怖…』『突撃』『博士…』『フルメタル…』全ての作品がそうです。戦争を暴力の発露と捉えるなら『時計…』もそうですね。『2001年…』でも暴力の覚醒が人類へ進化したきっかけだとしています。それだけキューブリックは物事の本質に真摯に向き合おうとしていたんです。そんな現実認識がカケラもできない脳内フラワーピープルな記者が書いたオメデタ文芸記事ごときに、キューブリック作品を安易に引用しないで欲しいものです。



 因みに管理人の『フルメタル…』の論考はこちらこちらにまとめています。参考までにどうぞ。