2015年5月13日水曜日

【作品論】キューブリック、自ら『2001年宇宙の旅』をネタバレする

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック



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 1980代年のセルビデオに始まり、その後何度も何度もLD、DVD、BD化され、しかも安価で名作とくれば普及も弾んだらしく、初見の鑑賞者が大量発生。それはそれで良かったのだが、謎かけも種明かしも全て勝手にやってくれる映画に慣れっこの現代の観客にはいささか荷が重いのか、1968年の初公開時のような理解不能者が続出してしまい、「明快なストーリーなどというものはなく、ただそれらしい映像をつなげただけ」とか「壮大なストーリーを描き出すつもりが、あまりにも話を膨らませすぎたため、まとめきれなくなり破綻したもの」とか言われてしまうのは一体どうした事か?半世紀前に比べればこの手のSF映画は多く作られており、遥かに恵まれた環境にあるというのに。

 キューブリックは1970年のインタビューで、明快に『2001年…』のプロットを説明している。要約すると以下の通りだ。

「進化を促す第一の人工物を地球上に置き、400万年前のヒトザルの進化に干渉した地球外知的生命体は、第二の人工物を月に置き、人類の進化が宇宙へと進んだ場合に備え、信号を木星の衛星軌道上の第三の人工物に送るようにセットした。それに導かれボーマンが木星まで到達すると、彼を内なる宇宙と外なる宇宙の旅に投げ込み、銀河系の別の場所まで運び、人間動物園ような環境に入れた。そこで老い、死に、そして新しい生命体へ生まれ変わった彼は、人類の次なる進化へのステップに備えるために地球へと帰還した」

『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』より)


 実は、ここで説明されているプロットは、何の予備知識がなくても、映画を注意深く観れば全て理解できるようになっている。(かなり不親切な作りであるにしても)もし一回観ても分らない場合は何度でも観れば良い話だ。だから、この「最低限のプロット」を理解した上で本作を語ってほしい。本作の解釈や個人の好悪が分かれるのは実はここからなのだ。本作を「長い」「退屈」と言って投げ出してしまうのは簡単だろう。しかし、退屈している暇など全くない。全ての映像には意味があり、それも様々な解釈が可能になっているからだ。

 キューブリックは21世紀にふさわしい神話を創った。それは推測でき得る近未来を、でき得る限りのテクノロジーを利用して創った「科学的に定義された神話」だった。それは本作の持つ普遍性が十二分に証明している。

「『2001年…』の核心には神の概念がある。だが、それは伝統的な、人の姿に似せた神ではない」

「地球外知的生命体は、物質の完全支配を成し遂げているかも知れない。肉体の殻を破って宇宙に存在する意識のようなものかも知れない。こういった可能性を議論する時、宗教的な関与は不可避だ。何故なら、これら属性は、我々が神に与えた属性だからだ」

「ここで扱っているのは科学的に定義された神だ。彼らが人類の問題に干渉していたとするならば、我々はそれを神、もしくは魔法としか理解できないだろう」

「我々が伝えようとしたのは、人間と同等、もしくはそれ以上の機械的実体が存在する世界のリアリティだ」

「こんな話を聞いた事あるのではないだろうか?科学者たちは究極のコンピュータに一番最初にするにふさわしい質問を何ヶ月も考えたあげく、ようやく思いついた。『神は存在するか?』ライトを点滅させた後、コンピュータは一枚の紙を吐き出した『ここにありき』と」

「もし『2001年…』があなたの感情を刺激し、潜在意識に訴え、神話への興味を掻き立てたとしたら、この映画は成功したと言える」

『イメージフォーラム増刊 キューブリック』より)


※初出:2006年7月18日、加筆:2015年5月13日