source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
前衛映画の制作者であり、画家でもあるドイツ人芸術家のハンス・リヒターが、アメリカに亡命後の1946年にダダイスムのマン・レイらと制作した映画『金で買える夢(Dreams Money Can Buy)』にキューブリックの2番目の妻であるルース・ソヴォトカが出演しているそうです。
上記にそのフルバージョンの動画がありますが、マン・レイが監督した『ルースとバラとリボルバー』というセグメントで、33分頃から登場する首に真珠を巻いた若い女性がそうだと思います(制作当時で21歳)。ルースの父親はオーストリアの著名な建築家ウォルター・ソヴォトカ、母親は女優のギゼラ・ショーナウ。キューブリックより3歳年上の1925年ウィーン生まれで、一家は1938年のドイツ併合と時を同じくして、戦争を避けるためにアメリカに移住しています。
ルースの出自が裕福な家庭の出身で芸術一家である事を考えると、監督のハンス・リヒターとはドイツ/オーストリア時代に親交があったか、もしくはそういったコミュニティーの一員であったことが考えられます。『アイズ…』の原作『夢小説』はルースの紹介との説がありますが、それも十分考えられますね。当時、映画監督としてはまだ駆け出しだったキューブリックに、ルースがかなりの芸術的な影響を与えた可能性があります。この辺りはもっと情報が欲しいところです。
wikiによるとルースがキューブリックと知り合ったのは1952年。この頃キューブリックは『恐怖と欲望』を制作中、ルースはバレリーナをしていました。きっかけはルースのルームメイトの振付師、デイビッド・ヴォーガン(『非情…』でデイヴィのマフラーを盗む役として出演)を通じてだそうです。1955年1月15日に二人は結婚しますが翌1956年秋には関係が悪化、1958年には別居状態(1957年にキューブリックはドイツでクリスティアーヌと知り合っている)、1961年に離婚となっていますが、1957年に離婚との情報もあります。実はクリスティアーヌ自身が編纂した『写真で見るその人生』によるとクリスティアーヌとの結婚は1957年(wikiは1958年となっている)とあるだけで、日付の記述がないのです。正式に結婚式を挙げるなり、入籍したなら日付を入れるはずで、それがないところを見るとキューブリックはルースと正式に離婚する前にクリスティアーヌと同居を始め、アンヤ(1959年4月6日生まれ)とヴィヴィアン(1960年8月5日生まれ)を授かったのではないか、と予想しています。
キューブリックがルースとの関係解消に消極的だった理由は仕事が忙しすぎた、映画制作以外の事には関心が薄くずぼら、等いくつか考えられますが、クリスティアーヌとの間に二人も子供ができてしまった以上は正式な手続きを取る他はなく、それが1961年だったのではないでしょうか。ひよっとしたらルースの出自がそれなりに有名な家庭であったのも、キューブリックの判断を鈍らせた要因の一つであったかも知れません。
ルースはすでに故人ですので、この辺りの事情はクリスティアーヌ本人が一番よく知っているはずですが、公式に何かを語ることはおそらく今後もないでしょうね。