2016年3月1日火曜日

【関連作品】『アンディ・ウォホールのヴィニール』 (Andy Warhol's Vinyl)

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック




 アンソニー・バージェスが書いた小説『時計じかけのオレンジ』に魅了されたのはミック・ジャガーやキューブリックだけでなく、あのアンディ・ウォホールも同じでした。上記の動画は、その小説『時計…』をベースにウォホールが映像化した作品『ヴィニール』の全編です。

 「ベースに…」と書いたのは、1965年当時『時計…』の映像化権を所有していたのはミック・ジャガーだったため、小説をそのまま映像化できませんでした。そのためロナルド・タヴェルによって新たな脚本が作られましたが、ウォホールはその脚本はおろか演出も否定、その結果1時間もの間役者たちがだらだらグダグダと喋り、カンペを見ながら演じ続けるだけの全く意味不明な映画になってしましまいました。

 この「何が起こるかわからないまま、ただカメラを回し続ける」という手法は当時のトレンドだったもので、ウォホールの他の映像作品では6時間もの間ただ眠る男を映し続けた『スリープ』や、エンパイアステートビルの外観をやはり8時間映し続けた『エンパイア』が有名です。かのビートルズも『マジカル・ミステリー・ツアー』でこの手法を試し、やはりグダグダになってしまったため、後に通常の制作方法への軌道修正を強いられています。

 目に見えるもの、耳に聞こえるものすべてをコントロールしたがったキューブリックの対極に、演出も演技も否定し、ただその場の状況を記録し、映し出すだけというこのウォホールの手法があります。

 キューブリックはルック社のカメラマン時代、報道写真という本来ドキュメンタリーであるはずの世界でもヤラセや演出が行われていて、それに本人も加担していたという経験の持ち主です。そのことからキューブリックはカメラであれ録音であれ、いったんその人間が現実の一部を切り取ってしまえばそれはフィクションであり現実ではないとし、「芸術家はその表現にだけ責任を持てば良い」という考えに至ります。だからこそ自身の作品に関わるすべてに干渉し、コントロールしようとしたのです。もちろん当ブログで再三していきているキューブリックのアドリブ志向も自身のコントロールの管理下のことです。キューブリックは「コントロールされたカオス」を好むアーティストでした。

 それに対しウォホールは自身さえも「コントロールできないカオス」を好んだアーティストでした。ウォホールは偶然やミス、ハプニングを好み、それらをそのままアートとして紙面や映像に定着させようとしました。その結果、同じ小説を原作にしながら全く肌合いの異なる二つの映像作品が世に産み落とされることになったのですが、二人のアーティストのそれぞれの志向と感性の違いをはっきりと確認できる意味でも、一時間の鑑賞時間は多少苦痛ですが、観ておいて損はない作品だと思います。

▼この記事の執筆にあたり以下の記事を参考にいたしました
第39回イメージライブラリー映像講座
「アンディ・ウォーホルの映画:ミニマリズムからナラティブへ」の記録



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