source: 映画.net
1: 名無シネマ@上映中 2014/10/31(金) 22:21:02.38 ID:5NOc/GIT.net
佐藤健と宮崎あおいの初共演で実写映画化。
監督:永井聡、原作:川村元気、
脚本:岡田惠和、音楽:小林武史。
2015年公開予定。
依頼によりスレ立て
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1414463390/26
そりゃ泣くよねw
全てのものを大切なものとすれば
ずっと生きていられるのではと思ってしまった。
試写会は妙齢女子ばかり当選してたから
想像力とか感受性豊かで泣きやすい層だったんだろうし
特別泣いた子ばかりを撮影して編集してんだと思うよ
あそこでの宮崎あおい叫ぶシーンも全く共感も出来ずぽかーんでした
リアクションの悪さは共通しているところが笑える
この映画は
僕と悪魔の一人二役と
レタスとキャベツの一匹二役を楽しめます
観てきた
最初なんじゃこれくっさ、、、って思ってたけど、俺は、
撮影地(函館)に住んでた
彼女持ち
映画好き
海外旅行行きたい
母さんも年取った
動物好き
ということもあって、なんか感情移入できてしまった
手抜きしてるところ多かったけどね
一秒たりとも情緒ナシの風景はとらないぞ
全て美辞麗句でデコレーションするぞ
世界から自分が消えて何も変わらなくたっていいじゃないですか・・・
消し方は原作より残酷かつ都合によって消え方違うしで滅茶苦茶になってた
同じ格好してる方がなんとか~って語ってたから
常に僕と悪魔は同じ衣装かと思ったら、違うシーンあるし
それなら陽気で無邪気に残酷なアロハが見たかった
さすが小林武史が愛娘のために書いた曲だけある。
映像綺麗だし自分の人生に重なる部分があれば泣けるんじゃないの
でも他に書き込みたい事は特に無いわ
何かが消えて世界が改変されて、また最後に元に戻る展開
これはファンタジーだよね
「間違い電話が縁で知り合った彼女と知り合うことができない世界になってました」って、限定されすぎだろ。
悪魔のやることだから周到に計算されてるのかもしれないけど、
電話という概念がなければ自分が生まれていない可能性だってあるんだし、
概念消失という大技を軽々しく扱いすぎ。
映画はそれなりに楽しめた。
泣けるを強調しすぎてる宣伝が良くないな。
猫にしゃべらせなかったのはいい判断だったと思う
存在が認識されなくなるってお話なんだよなー
その辺原作は曖昧だから、力技で時空改変までやってしまったのかな
結局元に戻るなら、夢オチでも良いんじゃないかねw
レンタルDVDの棚がパタパタ本に変わってくシーンとか、
映画的表現を優先したんだろうけどダサいと思った。
概念自体なくなるんだから一瞬で
パッと切り替わった方がいいと思うんだが、見せ方が難しいんだろうな。
一番要らなかったのはアルゼンチン編
画面暗転のあとに外国の景色になったから、電話・映画に続けて色々な物を消していった結果オリエンタルな世界になったのかと最初思っちゃった
実写は無理があった感
アニメでも難しい。
活字媒体で読者の想像させるのが一番楽なはず。
映画を消すことになってミナト座が消えるときは外は明るかったのに
濱田岳が働いてるビデオ屋に到着したときは真っ暗でどんだけ離れてるんだ
しかも佐藤健が到着するまで映画が消えるのを待っていてくれるのか
アルゼンチンのシーンは予告で壮大なシーンを入れたかっただけかと思うわ。
なんの脈絡もなくあんなシーンいれられてもなーーー。
普通に泣ける映画に重点おけばそこそこの映画っだったろうに
奇をてらいすぎというかなんというか・・・
こういう映画にエンターテイメントを誰も欲していないだろうに。
病に冒されているのは健のほうでしょ。
映画みたら謎が解けるかと思ったがあまり解けなかった
一般層やライトなファンは普通は一度しか観ないから解釈しきれないって人が多いのもわかる
自分も初めて試写で見た時はこりゃダメかもと思ったけど
何度か観て気付く深みがあった
試写で1回見たあと舞台挨拶目当てでもう1回見たが
細かなアラ以外で新発見なかった
できれば深みとやらを教えてほしい
泣いてる人いっぱいいたわ
タケル少しは思いやれ
母ちゃん死んでから実家を出て同じ町内に住んでるんだから、
親父とはとことん仲悪いのかと思って、母ちゃんの手紙に
「仲直りしてね」って書いてあるのかと思ったらそんなことなかった。
っていうか、キャベツの件で親父とは共犯(?)関係で、とことん
仲悪いわけでもないみたいで、じゃあなんで実家出てったんだ、って疑問が湧いた。
279じゃないけど親父と主人公が仲悪くなったのは母ちゃんが死んだ後だろう
見舞いにも来ないで何やってんだよ…!
て激昂してたシーンあったじゃん
父ちゃんが何で見舞いに来ないで懐中時計修理してたかも謎だった。
>>287
最近読んだ本にそう書いてあったし
大きい滝=自殺の名所になりやすいんだと思うよ
>>288
それは自分が想像するにだけど、
あの懐中時計は父と母の思い出の品だった
もしくは健が産まれた時に記念としてあげた物だったのでは?記念樹みたいな。
産後の見舞いにも来てないという母の台詞から分かる通り無口で不器用な親父は病院や見舞いが苦手なんだろう
時計を修理する事で母親の無事を願った、的な解釈を自分はした
259だがあそこで宮崎あおいはトムさんが死んだのが悲しいというより
トムさんが死んでも世界は何も変わらないということは自分が死んでも何も変わらないということ
それが悔しいので「生きてやるー」絶叫だろう
それがラストで佐藤健が言ってる
自分が死んだら世界はわずかでも変化が
あるだろうからそれこそが自分の生きた証というところに繋がる
ということは想像した上であそこで宮崎あおいが
「生きてやるー」と叫ぶのがあまりにも芝居じみていて
何でそんな演出したのか理解しづらい
>>282
何でそんな演出したのかという意図は
演出家にしか分からないとは思うが
素人が予想するにイグアスの滝で
印象的なシーンが欲しかったからじゃね?
あとはイグアスの滝って自殺の名所だから
あえてそこで生きてやるー!と意思表示するのが
含みのあるメッセージなんじゃないかなぁと思った
自殺の名所なの?
東尋坊も綺麗な場所なのに自殺の名所なんだよな
東尋坊だとちょっと違う映画になるから想像しないでおく
時計も母さんが父さんはそれでいいって言ってたような
何か色々とちょっとフォローするだけじゃんってとこで配慮が足りない
ツタヤの話は良かった、後は正直語る所が無い
関係ないけど今年の春先頃にこの話をキャベツ視点で書いた話も読んだんだけど、なんで視点が変わっただけで
こんなに話の内容自体が変わるのか不思議だったのが映画を見て納得した
あれはこの映画の話をキャベツ視点で見たものだったんだな
元スレ: http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/cinema/1414761662/