2017年6月6日火曜日

【関連記事】『博士の異常な愛情:彼は核兵器を心配していた』スタンリー・キューブリックは過去に、オーストラリアへの移住をほとんど決めていた

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


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『ロリータ』を撮影中の1961年頃のキューブリック。左側で天を仰ぐのはキューブリックとことあるたびに対立した撮影監督のオズワルド・モリス

Stanley Kubrick Almost Moved to Australia Before Dr. Strangelove Because He Was Worried About Nukes

Perth, Australia is the most remote major city on the planet. Which is apparently why it appealed to legendary director Stanley Kubrick. New research reveals that Kubrick was so concerned with the possibility of nuclear war that he actually planned to move to Perth in 1962.

 オーストラリアのパースは地球上で最も遠い主要都市です。その事実がなぜ伝説的監督であるスタンリー・キューブリックにアピールしたのでしょう。新しい研究はキューブリックが核戦争の可能性に関心を持ち、1962年に実際にパースに移ろうと計画していたことを明らかにします。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:GIZMODO/2017年5月17日




 キューブリックが核戦争の危機から自身と家族を守るため、オーストラリアに移住することを考えていたのはよく知られた話ですが、具体的には『ロリータ』のポストプロダクション時、1962年だったそうです。モロに「キューバ危機」の年ですね。

 記事によると、船内で『ロリータ』の編集作業をしながらパースに移動しようと考えたらしいですが、当時の客船だと航海中の6週間もの間、他の客とバスルームを共用しなければならないことを知って断念したそう(笑。核戦争の恐怖よりバスルームの共用の方が嫌だというのは、プライベートを重んじるいかにもキューブリックらしい判断ですが、この「船内で編集作業をしながら移動」というアイデアは後の『2001年…』で実現させるので、執念深いといえば執念深いですね。結局移住は諦めて引き続きロンドンで映画製作を継続し、そこに骨を埋めることになるのですが、たとえ一時期はパースへ移住したとしても、核危機はその後収斂していくので、事態が落ち着く頃には、キューブリックはロンドンに戻ったように思います。オーストラリアという国が持つイメージと、キューブリック作品のイメージがあまりにもかけ離れているので、そのままオーストラリアに住み続けたとはちょっと思えないですね。

 核戦争の脅威から移住まで考えたキューブリックの恐怖心は、逆説的な「黒い笑い」となって傑作『博士の異常な愛情』として結実しますが、『私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』なんて長ったらしい副題に、この「パース移住計画」の影響が現れているのだとしたら、やっぱりこの「私」ってキューブリック自身のことなんでしょうね(笑。