2017年9月19日火曜日

【ブログ記事】キューブリックが巨匠の地位を築くために力を貸した3人の男たち

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


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左からアレキサンダー・シンガー、ジェームズ・B・ハリス、カーク・ダグラス


 キューブリックは1928年、ニューヨークの医者の息子としてこの世に生を受け、やがで世界に名だたる超有名映画監督、すなわち「巨匠」の地位まで登りつめるのですが、それはキューブリック一人の力で成し遂げたものではなく、それに陰に日向に協力した人物は数多く存在します。ここでは、その中でも特に重要だと管理人が考える3人を採り上げて、解説してみたいと思います。



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(1)アレキサンダー・シンガー

 キューブリックのタフト高校時代の同級生。シンガーが校内誌に発表したSF小説にキューブリックが興味を持ち、シンガーに話しかけてきたことがきっかけで友人になる。キューブリックが高校を卒業し、ルックに入社後も交流を持ち続け、シンガーが当時勤めていたニュース映画制作会社『ザ・マーチ・オブ・タイムス』社から制作費などの情報を提供し、キューブリック初のドキュメンタリー映画『拳闘試合の日』を制作するきっかけを作った。その『拳闘…』ではセカンドカメラマンを担当、その後の作品にも協力し続け、劇映画第二作『非常の罠』ではスチールカメラマンを、『現金…』ではオープニング・シークエンスの撮影を担当している。

 そしてシンガーは重要な人物をキューブリックに紹介している。それはジェームズ・B・ハリスで、シンガーとハリスとは従軍時代に知り合い、除隊後に共同で映画制作をしている現場にキューブリックが訪れたことをきっかけに二人は顔見知りになる。その後街で偶然再開した二人は意気投合、映画制作会社『ハリス=キューブリック・プロダクション』を設立することになる。


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(2)ジェームズ・B・ハリス


 シンガーにキューブリックを紹介されたハリスは『非常の罠』を観てその完成度の高さに才能を確信、有能な監督と組んでハリウッド進出を狙っていたハリスは、キューブリックが資金集めに苦労していることを知るとコンビを組むことを決心し、『ハリス=キューブリック・プロダクション』を設立する。ハリスは映画とTVの配給会社「フラミンゴ・フィルムズ」を経営していて、ハリウッドにはコネがあった。コネを全く持たないキューブリックは、ハリスを通じてハリウッドに進出するチャンスを得たことになる。その後キューブリックは『現金に体を張れ』でハリウッドデビューを果たすが、『突撃』から『片目のジャック』(キューブリックは降板)の頃まで監督料を手にすることができず、生活費の多くをハリスからの借金で賄っていた。こうして公私にわたってキューブリックを支援し続けたハリスが果たした役割は大きかったと言えるだろう。


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(3)カーク・ダグラス

 キューブリックのハリウッドデビュー作『現金…』の評判を知ったカークは、この若い監督に興味を示す。当時大スターで、映画制作会社「ブライナ・プロダクション」を所有していたカークは、キューブリックが送ってきた『突撃』の脚本を読んで出演を決める。キューブリックはスターの出演によってなんとか制作資金を集めることができたが、肝心の映画が監督料をもらえるだけ稼いでくれなかったので、相変わらず生活は不安定なものだった。それが一変するのがカークが持ってきた雇われ監督の仕事『スパルタカス』を引き受けてから。キューブリックは本作によって経済的な安定と、ハリウッドでの名声を確実なものにするが、それと引き換えに映画制作における数々の制約に従わざるを得ず、キューブリックにとっては屈辱的な仕事となった。その不満を口にするキューブリックを、仕事とチャンスを「与えてやった」カークが快く思うはずがなく、後に自伝で「才能あるクソッタレ(才能はあるが、恩をあだで返すクソ野郎)」とキューブリックを評することになる。キューブリックも負けじと後年になってもカークの「性豪ぶり」を揶揄し続けていた。

 キューブリックがカークに反抗的な態度に出た理由は、当時のカークは『スパルタカス』以降のキューブリック監督作の権利を有するなどキューブリックに対して支配的だった。誰の干渉も受けず映画作りをしたいキューブリックにとってはまさに「目の上のタンコブ」でしかなく、それを嫌ったキューブリックがわざと不仲になるように仕向けた可能性がある。結局、悪書と蔑まれていた『ロリータ』映画化の悪評で自分の名声に傷がつくことを恐れたカークは契約を解消、キューブリックはまんまと「映画制作の完全なる自由」を得ることになった。



 以上、特に影響の大きかった代表的な3人を採り上げてみましたが、当のキューブリックは逝去してしまったのに、ここに挙げた3人は全員ご存命。それだけキューブリックが映画制作に命を削ってまで心血を注いだという証左だといえばそれまでですが、やはり逝去時の70歳という年齢は若すぎますね。