source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
『時計じかけのオレンジ』のレコートショップのシーンで、中央上部に飾られた『マジカル・ミステリー・ツアー』のアルバム(黄色いジャケット)が目を引きます。このレコードショップは実在(現在はマクドナルドになっている)し、ロケで撮影されたのですが、たまたまそこにあったのか、それともわざとキューブリックが目立つ位置に飾ったのか・・・それは謎です
ビートルズといえばキューブリック以上に世界中にマニアがいるアーティストですので、管理人程度の知識で云々するのはおこがましいにもほどがあるんですが、それでも「ビートルズで一番好きなメンバーは?」と聞かれると「スチュアート・サトクリフ」と応える程度にはひねくれていますので(笑、今回はキューブリックとビートルズの意外な結びつきについてまとめたいと思います。
(1)ビートルズのTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の『フライング』で使用された映像は『博士の異常な愛情』の空撮のアウトテイク
ほんの一部ですが、オフィシャルにアップロードされたものです。全編は『マジカル・ミステリー・ツアー』のBD/DVDでご確認を
これを初めて知った時には驚きました。どうやらアップルのプロデューサー、デニス・オデルがキューブリックにオファーして、アウトテイクを譲ってもらったそうです。なんだかリドリー・スコットが『シャイニング』の空撮のアウトテイクを譲ってもらった話を彷彿とさせますね。『マジカル・ミステリー・ツアー』のオンエアは1967年12月26日ですので、キューブリックは『2001年…』の制作真っ最中。当時スタッフとして参加していたアンドリュー・バーキン(ジェーン・バーキンの兄、後に映画監督になる)は、この『マジカル…』のスタッフでもあったので、両者の間にはスタッフの交流があったのでしょう。
(2)ビートルズは『ロード・オブ・ザ・リング』映画化を企画し、その監督としてキューブリックにオファーした
この記事によると「『ロード・オブ・ザ・リング』映画化の権利が1969年にユナイトに売却された際、ビートルズはキューブリックに監督を引き受けてくれるかどうか尋ねた」とあります。1969年といえば『2001年…』の直後、ちょうど『ナポレオン』の企画に取り掛かっている頃です。当時『ナポレオン』に夢中になっていたキューブリックが、残念ながら『ロード…』の企画に興味を惹かれることはなかったでしょうね。
(3)ローリング・ストーンズ版『時計じかけのオレンジ』に、ミック・ジャガーの出演を求めるビートルズのサイン入り嘆願書が発見、競売にかけられた
キューブリックが映画化する前、小説『時計じかけのオレンジ』の映画化権はミック・ジャガーが持っていたというのは割と有名な話ですが、ドルーグたちにはミックをはじめ、ストーンズのメンバーがキャスティングされる予定でした。しかもそのストーンズ版『時計じかけのオレンジ』のサントラはビートルズが担当するという話があったそうです。しかしこの企画は思うような進展を見せません。そんな状況に業を煮やしたのか、当時『時計…』の脚本担当していたテリー・サザーン宛に嘆願書が送られることになったそうです(その記事はこちら)。テリーはストーンズやビートルズとビジネスする難しさ(スケジュールの確保や権利関係、意味不明な取り巻き連中も含めて)に他のキャスティングを考え出していたのかも知れません。それを知ったストーンズのメンバーやビートルズがテリーに嘆願書を送った、という経緯が想像できます。しかし結局この企画は頓挫、テリーは『博士…』で一緒に仕事をしたキューブリックに映画化権を譲渡し、そしてあの傑作が生まれるということになりました。まあ、結果オーライだとは思いますね。
(4)『2001年宇宙の旅』で猿人「月を見るもの」を演じたダン・リクターは、ジョン・レノンの取り巻きの一人だった
ジョンの写真を撮るダン・リクター。後ろにはヨーコの姿も。
『2001年宇宙の旅』で猿人「月を見るもの」を演じたダンは、猿人のシーンの撮影終了後も異星人を演じるために撮影所に留まっていたそうですが、キューブリックがそれを断念した後は俳優仲間や音楽関係者と共に、ジョン・レノンが購入した南イングランドのアスコットにある「ティッテンハースト・パーク」に移住しました。要するにダンはジョンとヨーコの「取り巻き」の一人だったのです。そして1971年にダンは撮影監督としてドキュメンタリー『イマジン』の制作に参加。ジョンとヨーコは1971年8月までここに住み、その後ニューヨークに引っ越しました。ダンは1973年に二人と別れたそうです。
(5)小説『シャイニング』の着想源はジョン・レノンの『インスタント・カーマ』が着想源だった
スティーブン・キングが公言しているように、この「シャイニング」という言葉はジョン・レノンの『インスタント・カーマ』の歌詞「Well we all shine on Like the moon and the stars and the sun(そうさ私たちは輝けるさ、月のように、星のように、そして太陽のように)」が着想源です (すべての歌詞とその和訳はこちら)。「カーマ」はサンスクリット語で「業」を意味しますが、業の概念が分からないキリスト教圏の人間であるキングは、このカルマという言葉を「悪の因果」と解釈しています。つまり小説『シャイニング』で語られているオーバールック・ホテルが積み重ねて行った「悪い行いの繰り返し」の事です。そのカルマ、つまり悪の因果の果てにホテルに棲み着いた悪霊・悪魔に対抗できる唯一の(キリスト教的な)聖なる光が「シャイニング(輝き・ひらめき)」だとキングは理解し、小説のアイデアの中心に据えたのです。
しかし映画化に当たってキューブリックはこのアイデアを採用しませんでした。映画版では「シャイニング」の役割は単に「ハロランに助けを求めるテレパシー」でしかありません。またカルマの「業」は、文字通りアメリカ人の「業」(白人至上主義による侵略・搾取の上に成り立っている国・国民)に置き換わっています。全体的にもどこかしらヨーロッパ的静謐感の漂う映像(これはキューブリックの「ヨーロッパ趣味」の影響が大きい)になってしまいました。上記の動画はキューブリック版を使用していますので、オールド・ロックンロールの曲調とは合っていません。キングが制作したTVドラマ版の映像(いかにもアメリカン!なもの)を使用すれば、かなりしっくりくるでしょう。
以上ですが、キューブリックはポピュラー・ミュージックには疎かったようですので、ここに挙げた小ネタには「単なる偶然、巡り合わせ」でしかないものもあります。しかし、キューブリック側は意識していなくても、当時トレンド・リーダーだったビートルズ側は意識していたようで、ジョン・レノンの「『2001年』?毎週見てるよ!」というコメントも伝わっています。『マジカル…』に『博士…』の映像を流用しようと考えたのも、『ロード…』映画化の監督にとキューブリックに白羽の矢を立てたのも、キューブリックがこの時期「映画界のトレンド・リーダー」であったことを示しています。
まあ、キューブリックはそんな巷の騒ぎには一顧だにせず、我が道を貫き通していたのは周知の事実ですし(映画を当てたいキューブリックは映画界のトレンドの動向には注視していましたが)、それはキューブリックのどうしょうもないファッションセンスが示すとおりです(笑。とはいえ、「映画でもロックでも一番熱い1960年~70年代」に両者の間に邂逅があったというのは興味深い事実ですね。