source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
テキストは1986年発刊、深町眞里子訳の文藝春秋版を使用。
第一部 その日まで
[1-1]雇用面接
原作:ジャックがアルマンの面接を受ける
映画:アルマンのキャラを改変し採用
[1-2]ボールダー
原作:自宅でジャックの面接の結果を待つウェンディとダニー
映画:エピソードをカットしつつも採用
[1-3]ワトスン
原作:ワトスンがホテルの地下室にあるボイラーなどの設備をジャックに説明
映画:カット
[1-4]影の国
原作:ジャックが帰宅。ダニーがホテルに不気味な影を予感する
映画:トイレでのトニーとの会話シーンでその予感を少し触れるだけ
[1-5]電話ボックス
原作:ジャックに管理人の仕事を斡旋した後見人のアルに電話
映画:アルに関する部分は全てカット
[1-6]夜の断層
原作:ウェンディとジャックの過去と二人の間にある秘められた確執
映画:過去のトラウマや二人の間の確執は全てカット
[1-7]別の寝室で
原作:ダニーがトニーの夢を見て、トニーがホテルについて警告する
映画:カット
第二部 ホテルへ
[2-1]景観荘のながめ
原作:家族3人で車でホテルへ向かう
映画:エピソードをカットしつつも採用
[2-2]チェックアウト
原作:ホテル閉館の日の描写
映画:エピソードをカットしつつも採用
[2-3]ハローラン
原作:ハローランがキッチンを案内
映画:エピソードをカットしつつも採用
[2-4]かがやき
原作:ハローランがダニーに「シャイニング」の話をする
映画:エピソードをカットしつつも採用
[2-5]大巡遊旅行
原作:アルマンが一家を引き連れてホテルを説明、途中ダニーが消火器のホースの化け物を見る
映画:エピソードをカットしつつも採用、ダニーが見るのは双子の少女の幽霊に変更
[2-7]ポーチにて
原作:アルマンやハローランがホテルを去り、それを一家がポーチで見送る
映画:カット
第三部 すずめばちの巣
[3-1] 屋根の上で
原作:ジャックが屋根を修理中にすずめばちの巣を見つける
映画:蜂に関する部分は全てカット(カーペットの柄にその名残があるだけ)
[3-2] 前庭で
原作:すずめばちの巣をダニーに見せる
映画:カット
[3-3] ダニー
原作:ダニーがトランス状態になり、蜂に刺される
映画:ダニーがトランス状態のみ採用、他はカット
[3-4] 診察室
原作:町で蜂に刺された治療とトニーの存在を医者に説明
映画:医者のシーンはホテルに来る前に移動、他はカット
[3-5] スクラップブック
原作:ジャックが地下室で見つけたホテルの過去をまとめたスクラップブックを読みふける
映画:カット
[3-6] 217号室の前で
原作:ダニーが217号室の前に引き寄せられる。途中で消火器のホースに恐怖を覚える
映画:ダニーが三輪車で237号室の前へ。消火器のホースは双子の少女の幽霊に変更
[3-7] アルマンとの会話
原作:ホテルの秘匿された過去を知ったジャックが電話でアルマンを脅す
映画:カット
[3-8] それぞれの断層
原作:ジャックがアルに電話
映画:アルに関する部分は全てカット
[3-9] トラックで
原作:ウェンディとダニーがトニーやホテルについて車の中で話し合う
映画:カット
[3-10] 児童遊園で
原作:ジャックが生垣動物に襲われる幻想を見る
映画:ジャックが迷路の模型の中にウェンディとダニーがいる幻想を見る
[3-11] 雪
原作:ダニーが217号室の幽霊を見る
映画:部屋の中には入るが、何を見たかはカット
第四部 雪ごもり
[4-1] 夢の国
原作:ジャックが妄想に取り憑かれ、ラジオを壊す
映画:冷静にラジオを壊す
[4-2] 緊張病
原作:失神状態のダニーが現れ、ジャックがウェンディをなじる
映画:シチュエーションを変えつつも採用
[4-3 ] 「彼女だったよ!」
原作:ジャックがバーに行き、ロイドから酒を奢ってもらう
映画:シチュエーションを変えつつも採用
[4-4] ダニーは語る
原作:ダニーが自分の能力とホテルで見たもの全てを二人に説明する
映画:カット
[4-5] 217号室再訪
原作:ジャックが217号室に確認に行く
映画:シチュエーションを変えつつも採用
[4-6] 評決
原作:ジャックが「217号室には何もなかった」と告げる
映画:エピソードをカットしつつも採用
[4-7 寝室
原作:ジャックとウェンディがホテルを脱出する方法を話し合い、悪夢を見る
映画:話し合いのみ採用、あとはカット
[4-8] スノウモービル
原作:スノウモービルの発電機を捨てる
映画:カット
[4-9] 生垣
原作:ダニーが生垣動物に襲われる
映画:カット
[4-10] ロビー
原作:ダニーが生垣動物を説明する
映画:カット
[4-11] エレベーター
原作:誰もいないのに動き出すエレベーター。ウェンディが幽霊の存在を確信する
映画:血を吹き出すエレベーターに改変
[4-12] 舞踏室
原作:ダニーが舞踏室で幽霊のパーティーに遭遇し、ハローランに助けを求める
映画:ダニーが見る霊のイメージをハロランが察知する
第五部 生死の問題
[5-1] フロリダ
原作:ハローランが一家を助けにコロラドに向かう
映画:エピソードをカットしつつも採用
[5-2] 階段で
原作:ダニーがウェンディに幽霊の真の目的を説明する
映画:カット
[5-3] 地下室で
原作:悪夢を見たジャックがボイラーをあやうく爆発させかける
映画:カット
[5-4] 夜明け
原作:犬男がダニーにとうせんぼする
映画:ホテルの一室で紳士(支配人ダーウェント)とホモ行為に及んでいる
[5-5] 機上にて
原作:ハローランが機上の人となる
映画:エピソードをカットしつつも採用
[5-6] 酒は店のおごりです
原作:コロラド・ラウンジでのパーティー
映画:ゴールド・ルームでのパーティー
[5-7] パーティでの会話
原作:グレイディから二人の始末を依頼される
映画:エピソードをカットしつつも採用
[5-8] デンヴァー、ステープルトン空港
原作:一家の危機にホテルに向かう
映画:エピソードをカットしつつも採用
[5-9] ウェンディ
原作:ウェンディがワインボトルでジャックを殴り気絶させ、食糧倉庫に監禁する
映画:ウェンディがバットでジャックを殴り気絶させ、食糧倉庫に監禁する
[5-10] ダニー
原作:オーバールック・ホテルが覚醒を始める
映画:カット
[5-11] ジャック
原作:グレイディにウェンディの始末とダニーの引き渡しを条件に出してもらう
映画:グレイディにウェンディとダニーの始末を条件に出してもらう
[5-12] ハローラン、山地に向かう
原作:ハローランが車でホテルに向かう
映画:ハローランが除雪車でホテルに向かう
[5-13] レドラム
原作:ウェンディがクリケットの槌でジャックに襲われる
映画:ウェンディが斧でジャックに襲われる
[5-14] ハローラン到着
原作:ハローランがスノウモービルに乗り換えてホテルに到着
映画:ハロランが除雪車でホテルに到着
[5-15] ウェンディとジャック
原作:ウェンディが洗面室に追い詰められる
映画:ウェンディがトイレに追い詰められる
[5-16] ハローラン倒れる
原作:ハローランがジャックに槌で殴られて倒れる
映画:ハローランがジャックに斧で殺される
[5-17] トニー
原作:トニーが現れ、ダニーを勇気付ける
映画:カット
[5-18] 忘れていたこと
原作:ジャックがボイラーの管理を忘れていたことに気づく(屈指の名場面あり)
映画:カット
[5-19] 爆発
原作:ボイラーが爆発し、ホテルが焼け落ちてジャックは死ぬ
映画:迷路でジャックは凍死し、ホテルはそのまま残る
[5-20] 脱出
原作:ハローランとダニーとウェンディがスノウモービルで脱出
映画:ダニーとウェンディが雪上車で脱出
エピローグ/夏
原作:フロリダで療養中のハロランとダニーとウェンディ
映画:古い集合写真にジャック(の前世)の姿
以上のように、キューブリックは長編小説を映画化するに当たって、かなりの部分をカットしていますが、それは三人の心理描写や背景、トラウマや過去の出来事などがことごとくその対象にされている事に気がつきます。もちろん、そんなことに関わっていたら2時間の映画の枠に収まらない、という判断だと思われますが、カットで浮いた時間をじっくりと暗喩的恐怖描写に当てる事により、より「恐怖映像映画」の性格を強くさせています。
「キューブリックはストーリーを軽視している」とよく言われますが、キューブリックは登場人物の「恐怖の心理」を必要以上に描写してしまうとテンポが悪くなり、映画における「恐怖のマジック」が消えてしまうと考えたのではないでしょうか。ストーリーの説明や心理描写は最低限にし、襲いかかる消火器のホースや生垣動物、誰もいないのに動くエレベーターを双子の少女や生垣迷路、血を吹き出すエレベータに改変したのは、ストーリーを映像で語りたがるキューブリックらしい判断で、文字で説明したがるキングとは真逆と言っていいでしょう。
そのストーリーですが、キングとキューブリックにはストーリー云々以前に「考え方」の決定的な違いがあります。それが如実に表れているのはキューブリックが第四部第4章「ダニーは語る」をまるまるカットしている点です。この章はダニーが今まで両親に内緒にしてきた「シャイニング」能力や、ホテルで見た怪現象の数々を全て告白し、それをジャックとウェンディがダニーの真剣さから「真実」と判断する(ジャックは多少懐疑的だが)重要な章です。物語はここで誰が善で誰が悪か、敵か味方かをはっきりと提示(ジャックはその境界線上にいることも明示される)し、読者が知っていることと登場人物が知っていることがやっと(ここまでが長い)合致します。つまりここから物語は読者と登場人物が一体となって「悪」に立ち向かって行くクライマックスへと突入するのです。
しかしキューブリックはこの章をまるまるカットし、ウェンディはおろか、ダニーさえも「正義」とは明示しません。この二人は終始襲いかかる恐怖から逃れようとしているだけで、その行動には「正義感」などというものは微塵も感じられません。キューブリックは「私は映画の登場人物たちを善、あるいは悪という分類で考えない。彼らは善であり、且つ悪であるという領域にいるのだ」と語っているように単純な善悪の二元論を好みません。善悪の二元論で全てを押し切ってしまうキングとは正反対なのです。キューブリックが悪の概念を「誰にでも普遍的に存在する全人類共通の概念」とし、それをフィクションの世界でも「最低限守るべきリアリティ」と考えていたのに対し、キングは「フィクションだからこそ読者を楽しませるために単純化された善悪の二元論が必要」と考えていたのでしょう。だからこそこの二人はその一人が故人となった今でもその主張が平行線のままなのだと思います。
結論:上記の通りキューブリックが小説『シャイニング』から排除した要素は、キングが善悪の二元論に基づいて描いた「正義と悪の戦い」の描写と、その前段階である登場人物の過去や心理描写であり、その説明の部分がほとんど。それは二人のストーリーメイクに関する考え方の違いが原因となっており、キングは「ストーリーには単純な善悪の二元論が必要」と考えていたのに対し、キューブリックは「悪は誰にでも普遍的に存在する全人類共通の概念」と捉えていたため。両者の考えの溝は今に至ってもなお埋まってはいない。
なお、二人の違いは文字志向/映像志向や善悪論だけでなく宗教観も大きく違います。それによって小説→映画の改変を語ることも可能ですが、それにはキリスト教的な概念を理解する必要があります。管理人はそれを語れるほど宗教に詳しくないので、「キングはキリスト教的価値観を有しているが、キューブリックは無神論者であり、その価値観の違いが小説『シャイニング』の改変に影響している」という程度の説明でご容赦願います(その考察はこちら)。