2017年12月7日木曜日

【家族たち】キューブリックの2番目の妻、ルース・ソボトカは1958年3月にニューヨーク・シティー・バレエ団の一員として来日していた

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


ballet
『非情の罠』のバレエシーン。踊っているのは当時キューブリックの妻だったルース・ソボトカ。このバレエを実際に日本で観た人がいる、というのは実に羨ましい限りだ。



 この一覧によると1958年3月17日~3月30日までは新宿コマ劇場、4月1日~6日までは産経ホールで公演したようです。キューブリックとルースは1955年1月11日に結婚に結婚しましたが、1956年10月頃には夫婦関係はかなり怪しい状況になっていました。その後キューブリックはハリスと共にドイツに渡り、『突撃』の制作に取りかかります。それは1957年の春頃まで続き、『突撃』の初公開はベルリンでこの年の6月です。この時点でキューブリックは既にクリスティアーヌと出会っていますので、二人の離婚はもはや決定的です。どちらにしても1958年3月にバレエ団の一員として来日するためには、準備やリハーサルなどを考えると少なくとも1957年の後半にはキューブリックの帰りを待っていたハリウッドを離れ、ニューヨークに戻らなければなりません。この来日公演の記録に旧姓の「ソボトカ」で掲載されているところを見ると、離婚は1957年ということで間違いないと思われます。

 つまりルースとクリスティアーヌは入れ替わる形でルースはハリウッドからニューヨークへ、クリスティアーヌはドイツからハリウッドへ移ったことになります。果たして二人の間で直接の対決はあったのでしょうか? ルースもキューブリックも逝去してしまっている現在、それを証言できるのはクリスティアーヌだけですが、この件に関して何かを語ることは今後もないでしょう。なぜならルースはナチスドイツに故郷のウィーンを追われ、ニューヨークに逃げて来たユダヤ人、クリスティアーヌはそのナチスドイツの宣伝大臣だったゲッペルスのお抱え監督、ファイト・ハーランを叔父に持つナチスに近い立場のドイツ人だからです。そして、完全に真逆の立場の二人の女性の間に立たされたのが、生まれも育ちもニューヨークのユダヤ系アメリカ人であるキューブリック。なんとも皮肉な運命の巡り合わせとしか言いようがないですね。

 このルースを擁した「ニューヨーク・シティー・バレエ団」の公演の詳細はこちらで確認することができます。