2019年5月13日月曜日

【アーティストたち】『2001年宇宙の旅』の月面のセットを制作したジョイ・カフ(Joy Cuff/旧姓セドンSeddon)の仕事

source: KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック


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『2001年宇宙の旅』で仕事をするジョイ・カフ。

〈前略〉

 MGMスタジオでの私の契約は1966年2月に始まりました。実写(俳優)撮影はシェパートン・スタジオで完成していました。『2001年宇宙の旅』は65(70)mmフィルムで撮影されていました。私が映画制作に加わったとき、モノリスを調べるために「穴」に降りる宇宙飛行士のフィルムは缶に保管されていましたが、合成されていませんでした。

 MGMでは月面の模型を「マットショット」として制作することになっていました。石膏で作られた「穴」の中央フレームには、シェパートンで撮影されたライブアクションの映像を使うことになっていました。そしてそれはカメラで撮影され、合成されました。この手法は映画制作の初期の頃には完成していましたが、複製されたフィルムの品質が向上するにつれて、静止画像に実写を挿入する方法はあまり使われなくなりました。キューブリックは細心の注意を払い、主に高品質で再生することによってこの方法を使うことにしました。カメラマンのジョン・マッキーとマット・アーティストのボブ・カフは、月面セットの制作と撮影の両方の開発に携わった重要な技術者でした。

 私はミックスメディアのアーティスト兼彫刻家として働いていた時と同じく、月の模型を制作する際に石膏を使用し、順調に作業していましたが、私は映画制作のSFX分野、特にマットショット (個々のショットを合成して1つの完全なショットを作ること)については経験がありませんでした。私はこの分野のエキスパートであるボブ・カフと一緒に仕事をし、マットアーティストの技を学びました。『2001年宇宙の旅』の最も象徴的なショットの1つを制作する一方で、私はこの芸術形式を学ぶことに恵まれたのです。

 このショットとそれに続く月面バスのフィルム上のショット、そして宇宙船の窓からの風景は、実際には3フィート×6フィートの大きさで、約25フィートのトラッキング・ショットのために、10フィート四方のエリア内で相互動作する長いセットでした。私はスタンリー・キューブリック・アーカイブにあるサムネイルのスケッチから作業しました。私が作成したのは、スタンリーが描いたいくつかの簡単な図面(表面の平野とクレーターの縁を示す単なる図)で、全てのセット上で非常に慎重に構成されていました。ボブ・カフとジョン・マッキーがアバカス社を結成し、映画制作を始めた後(私は後にボブと仕事をするために彼らに加わることになりました)、私は一人で月面模型を制作し、後の段階でモデルメーカーのロジャー・ディキンが加わりました。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:HISTORY PROJECT/Blogs/Anonymous's blog/The Stanley Kubrick Archives/2016年2月11日




 『2001年宇宙の旅』月面の模型を制作したジョイ・カフの書き込みがありましたのでご紹介。キューブリックが『2001年…』で行った特撮の方法は「原始的だがおそろしく手間がかかるもの」だということは知られていましたが、具体的な証言があるとイメージしやすいですね。いわゆる「マットペイント」と呼ばれる方法ですが、『2001年…』の場合、背景は絵(通常はリアルな背景絵を描く)ではなく石膏などで制作した模型を撮影し、それを背景素材として使ったようです。ムーンバス飛行中の窓の外を流れる風景は、模型をトラッキング・ショットで撮影したものが使用されたそうです。

 それにしても「人類の夜明け」の猿人たちが住む岩場だけでなく、月面のデザインまでキューブリックが指示していたとは。キューブリックが『2001年…』でアカデミー視覚効果賞を独占したことに異論を唱える向きもありますが、ここまで事細かに関わっていたとなると、それを単純に批判はできないでしょう。

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ムーンバスが月面を飛行するシーンの背景。

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モノリス発掘現場の背景と思われるが、映画とは月面の形状が違うのでボツになったか、修正を加える前のものかもしれない。

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ムーンバス着陸シークエンスのポラロイド。

 以下はIMDbのジョイ・カフのバイオグラフィ。「サンダーバード組」だったんですね。

 アートスクールを卒業した彼女の最初の仕事は、デレク・メディングスの彫刻家として『サンダーバード』(1965)に取り組んでいました。 彼女はAPフィルムの彫刻班で人形のための頭部を制作していました。 ジョイがAPフィルムに参加したときには、すでに作られていた主役ではなく、さまざまなエピソードに登場する悪役などの仕事をしました。

 1967年(1966年の間違い?)、ジョイはスタンリー・キューブリックの『2001年…』のために月の模型を作りました。 彼女はその時はまだミス・ジョイ・セドンでした。 ジョイは1964年にブライアン・ジョンソン(当時、デレク・メディングスと共に『サンダーバード』に取り組んでいたブライアン・ジョンコック)によってボブ・カフに紹介されました。ジョイは1969年にボブ・カフの息子(ポール・カフ)と結婚しました。


 こちらはジョイの最近のインタビュー動画です。