source: 映画.net
12/27(金) 15:35配信
映画『ボヘミアン・ラプソディ』が語らなかったフレディの悲劇【2019年のヒット記事】
<2019年に最も感動を呼んだ映画の1つだが、希代のボーカリストがどれほど社会から、そして人から疎外され罰せられたか、観客はそれも知らされるべきだった>
今年のアカデミー賞で注目を集めたのが、伝説のバンド「クイーン」のリードボーカルだったフレディ・マーキュリーの半生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が作品賞を取れるかどうかだった(受賞したのは『グリーンブック』だったが)。
『ボヘミアン・ラプソディ』は賛否両論分かれる映画だ。同性愛への嫌悪や偏見が見られるという批判がつきまとい、監督のブライアン・シンガーは、過去の強姦と性的虐待で告発された。
だが同性愛の歴史研究者として、私が取り上げたいのは別の視点だ。この映画から明らかに抜け落ちている悲劇の歴史だ。
マーキュリーは、1980年代にHIV陽性と診断された多くの男女と同様に、病だけでなく政府の失策、そして世間からの軽蔑の犠牲となった。HIV流行に対する政府と世間のばかげた反応が、マーキュリーの人生の扉を閉ざすことにつながったのだ。
それらは一切、映画には描かれていない。
1980年代初めにアメリカやイギリスなどの一部の都市でHIVの流行が初めて確認された時、各国政府は感染拡大を防ぐ対応をほとんど取らなかった。
医師たちは当初、感染が特定の人々の集団で見られると指摘していた。それは病気とは別の理由ですでに偏見の対象となっていた集団だった。つまり男性同性愛者に麻薬常習者、そしてハイチ系の人々(これは人種差別が原因)だ。
<「HIVはゲイがかかる病気」>
当局の当初の対応が偏見まみれだったのは、多くは「自己責任」で感染したとの考えがあったからだ。男性同性愛者が感染したのは、数多くの相手と性行為をするという危険な行動を取るせいだ、というわけだ。つまりHIVはほとんどの異性愛者にとっては脅威とならないという理屈だ。医療関係者もHIVはゲイがかかるものという偏った認識を持っており、HIVは当初、「ゲイ関連免疫不全」の頭文字を取った「GRID」と名付けられたほどだった。
言うまでもなくそれは科学的に誤っていた。安全に○ックスするにはどうしたらいいかについて十分な啓蒙活動が行われない限り、そしてパートナーの数が多ければ多いほど、何であれ性感染症にかかるリスクは高くなる。男性同性愛者が特にエイズにかかりやすいような性行為をしていたわけではない。1970~1980年代にかけて、多くの異性愛者も複数のパートナーと性行為を行った。だがたまたま当初、一部のゲイ男性のコミュニティに被害が多く出たというだけだ。
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