source: 映画.net
<本番>に向けて、海のすべてが移動を始めた―――。
原作 – 五十嵐大介
監督 – 渡辺歩
音楽 – 久石譲
主題歌 – 米津玄師 「海の幽霊」
キャラクターデザイン・総作画監督・演出 – 小西賢一
美術監督 – 木村真二
CGI監督 – 秋本賢一郎
色彩設計 – 伊東美由樹
音響監督 – 笠松広司
プロデューサー – 田中栄子
アニメーション制作 – STUDIO 4℃
製作 – 「海獣の子供」製作委員会
配給 – 東宝映像事業部https://www.kaijunokodomo.com/
米津玄師 MV「海の幽霊」
君達の考えを教えてくれ
なかなか深淵な問いだなw
有限の世界の始まりに遡って語れるものなど誰もいないのでは?
神話の序文でも引用するか?
はじめに混沌ありき、無限ありき、1が生まれて陰陽ふたつに分かれて、2は3を生んで、3は万物を生じる。冲して和してまた無限に帰すってな。
なんていうか、そういうサイクルだからなぁ。誰がとか理由とか、ないって気がする。
スレッドURL:http://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/animovie/1560273585/
作品はファンタジーだと思うけど
作中での「誕生祭」はファンタジーや夢物語ではなく、実在しているで間違いないかな?
その中身なんだけど、現実の現象として描かれいるのかな?
それともルカの意識?
何かの力が働いている?
自然現象?自然との対話?鯨との対話?
いや、これら全てなのかな?あと、鯨の歌が聞こえるとは?
そもそもあの巨大鯨は実在しているの?鯨の幽霊とは?
誕生祭の鯨は水族館でみた鯨なの?
皆さんの考えをぜひ教えてくれ
おいwそこはファンタジーとして理解しろ純粋かww
人魚姫とかヨナ記とか元ネタがあるんだよ。水族館で消えた幽霊はジンベイザメだっけ?頭が四角いやつ。
女神クジラは水槽には絶対入らないデカさだったろw
ていうか光って消える海の幽霊と女神クジラは違うから…
ええいツッコミどころはひとつにしとけww
とは?
作品を通じて
一番大切な約束とは何だと言いたいのでしょうか?
その約束は言葉ではなく、何で交わされたのですか?
また作中での約束のシーンは空がルカに隕石を託ストラップところでしょうか?
約束は言葉で交わしていましたよね
でも、隕石を手渡しではなく、空の体内からルカの体内に渡しましたね
なぜですか?何を表現したのでしょうか?
また隕石とは何ですか?
魂?DNA?
作中では言葉は限定的な事しか伝えられないとか言ってたから
言葉じゃ表しきれない約束をしたって事じゃないかなぁ
空くんが消えてしまうのわかってて見に行くどえむ
出来るなら空くんと海くんが生きてるルートの海獣の子供が見られる世界線に行きたい
ちくしょうどうしたらいいんだ世界線こえたい
松山ケンイチ 早乙女太一 堺雅人海獣の子供
芦田愛菜 稲垣吾郎
きみと波に乗れたら
川栄李奈 片寄良太
天気の子
醍醐虎汰朗 森七菜 小栗旬 本田翼
HELLO WORLD
北村匠海 浜辺美波 松坂桃李
空の青さを知る人よ ←new!!
吉沢亮 吉岡里帆
飼育員の芸人二人以外は良かったよ
ムリに科学的解釈をあてはめようとするなら誕生祭ってのはどこかの並行宇宙でのビッグバンがこの宇宙に投影されたもので海というスクリーンでこの世界の一部の人間が観測できる
みたいな?w
科学的であったりオカルト的なものがリアリティーを感じさせる描写でそれらしく描かれていると、ただの空想の産物というご都合主義の表面的な解釈をしないで納得いくまで物語の辻褄合わせするのが好きなんだなあと思った
紐解くとか読み解くとは果たしてそういうことなのかと疑問に感じてしまう
「自慢の図書館にデータは揃っているでしょうに」
「膨大な言葉の罠を紐解いて、得られるものは僅かです。全て解けて結び目は残らない」
ってか。
そらウィド神父でなくミラになれるもんならなりたいねぇ。自分自身で世界を確かめる、だろ?わかっているとも。
・映像表現
アニメではないと表現できない映像が多かったと思うなんともいえないところ
・目が大きすぎるかも?と思ったが、
瞳の中の表現もあるからこの大きさのほうがいいのかもな
・中盤、ストーリーの進みが遅くて中だるみするかも。
だがその後の激しい展開のために、ためていたというのならそれもありかな。
・アイドルの声の出演(STU48)は、まあまあだった
いまいちなところ
・生命誕生系の話なんだけど、映像はすごかったと思うけど、よくわからなかった。
精神世界系ね~、原子や素粒子ネタね~、とかわかるところもあるんだけどな。
・水族館で右足のケガがなかったシーンがあった(自分の見間違いでなければ)と思う
・お笑い芸人の声の出演(尼子インター)は、違和感あるぐらい厳しかった。
漫画の読み手も映画を観にくる人達も、その直喩的な世界が当たり前だと思って生きてる
だから物語はそういう常識的な世界のような導入からはじめている
そこから科学的だったりオカルト的であったりしてくるところで直喩的な物語は比喩的(アナロジー)的なものに置き換わる
そこまでが難解といわれない解釈が出来る映画
でもこの映画は比喩的だと思ったことが実は最初から隠喩(メタファー)であることが明らかになる
それは根元的、原理的なものだから当たり前のこととして感じるしかない
お父さん、お母さん、学校の人達は直喩の世界
ジム、アングラード、デデは比喩の世界
空、海、誕生祭は隠喩の世界
ルカはそこを行き来したもの
そういう映画なのではないのかな
水族館員の父ちゃん、アル中の母ちゃん、
活発だけど人との距離を測り損ねてる主人公、ふむふむ。
ジュゴンに育てられた兄弟、、、うん、まあそういう設定なのね。
怪しい組織、、、誰だおまえら?(よくわからないんで眠くなる。)
祭り?ん?
隕石?ハァ?
宇宙?なんで?
終盤怒濤のイメージ映像、、、どこかの宗教作品だっけか?
語り部の婆、、、棒
なんだかわからんが、家庭に平和が訪れてめでたしめでたし。監督か脚本の頭がわいてるのかと思ったら、原作があるのね。
これは企画時点で失敗だわ。
あれもアフタだったな
作品の物語は原作の総集編かw
監督が割り切って何となく意味ありげなものを散りばめ作りましたならば、勘弁してくれとは思うw
好きなものだけいくつか拾い上げ自由に点を結び各々で感じてくれと観客への投げつけだ
深読みすれば監督が意味ありげなものの集合体の世界観を意図的に作り、意味など考えるだけ無駄と表現したとも解釈できなくもない
考えるほど何ともスッキリしないモヤモヤ感が溢れ出す
キーアニメーターというかゲストアニメーターというか、そこのシーンのために5年描き続けてやっと完成したくらいの、なんか手書きで頭狂ってるわって感じるくらいのもの凄い作画が見たかった
自分はどちらかといえばそういうのが見たい
それがなんなのか知りたい大人達を尻目に図らずともアリーナ席をゲットしてしまった女の子な話だよ、
映画は真ん中はしょりまくってたけど。世界の海獣の子目撃譚は入れてほしかった、ババさん水着ははしょってGJ同じくIKKIで連載してた他作者SF作品の言葉を借りると
神なんてまだ解かれていない数式
てのは結構しっくり来る
科学下げ宗教マンセーなんて別に映画もやってないよな
あと、海って「あーうー」になった後、オットセイ?と観客に向けてショーしてたの?
この世とは生物も自然も目に見える全てのものがわずかな物質でできているだけだしね
元をたどれば皆兄弟
地球の奇跡的な宇宙環境の中、隕石が命の物質を運んで、雷などの自然現象により海で命が育まれた
それが長い年月を生物や植物になり、やがて人間が生まれた
すべて自然現象と捕らえつつ、各々意思を持ち懸命に生きているわけだ
これもまた自然現象とするならば、
生誕祭も生物や人間から生まれた自然現象であり、更に言葉を加えれば祭礼的な自然現象だとも言える
なんとなくわかった。祭礼も神もキリストも、誤解がくっつきやすい言葉だな。
ほんと言葉にならない、言葉にしない、が正解に秘密に一番近いって気がするよw
ならば、言葉にしないが正解かもしれんなw
やっぱり誕生祭長いなあ
あれをもっとカットして、断片的でいいから、デデ、ジム、アングラードの過去の関わりを見せるべきだったのでは
最後のデデと琉花の会話も、もっと淡々と短くてもよかったと思う隕石が「水を生み出す石」なのをちゃんと見せたほうがよかったと思う
琉花や海の口からずっと水が溢れ続ける描写がグロいと感じて規制したんだろうか
前半に比べて後半の話の密度が薄いんだよね
それは原作もそうなんだけど
全体としては悪くないけど、やっぱり構成に注文つけたくなってしまう
隕石に含まれる氷の結晶は地球に落下する前に蒸発してしまうわよね
御神体は隕石様
広報は鯨の幽霊さん
空君と海君は神男候補よね
そうなるとルカちゃんは神男候補補欠になるわね
神男候補として人間と魚との中間的哺乳類としてジュゴンに育てられたが海君と空君だったのよね
ルカちゃんは母の血統が神男候補補欠で母か先祖が鯨から聴いた子守唄を人間の唄に変えて伝え聴かされていたのでしょうね誕生祭は補欠のルカちゃんが神男の座になるという結末だったのよね?
言葉通り、空を飛んだわけね
琉花はあくまでも「ゲスト」では
空が消えた時点でジムとアングラードがデータを消して手を引き、
アングラードでなく、デデが誕生祭の場へ連れて行くのはスッキリしてた
ジムとアングラードの確執を描かないなら、これはあり
地元の祭りの最中にザトウクジラが現れて、それをきっかけにデデとルカ達が船出するのもよかった
ヒトの祭の形式になぞらえても意味ないていうか、逆だな。
祭の形は人が限られた認識のなかで、自然の在り方をある型に落とし込んだもので、言葉と一緒だ。森、はそこに生えてる木のことではなくて、そこにある全ての命、光や時間がかたちづくるもので、そこにいる事に気がついた時から、誰だってその森の一部になる。
これ、魔女のセリフだけど森を祭に置き換えても同じだよ。
あなたの森の話は祭の内容の話や表現していることではないのか?
絵だけで、なんじゃこれは状態だったから。
なんであそこに水着あるんだ
それとも着ていったのか?
シーンを台詞で説明しすぎるっていうのも、まあちゃんと観る目がある人からすれば確かにって思うんだけど、それ無くしたらもっとわからないっていう人達もいるからね
ブレードランナーの劇場公開版の日本語吹き替え版が一番見やすいって人と、すべて詰め込んだ完全版がいいって人と、最終版こそ本当のブレードランナーだからこれを見るべきって人と、その最終版だけ見て理解出来ない人がいるから
なんともいえんよね
>森、はそこに生えてる木のことではなくて、そこにある全ての命、光や時間がかたちづくるもので、そこにいる事に気がついた時から、誰だってその森の一部になる。
そこは物語の中でいかに描くかが腕の見せどころだと思うぞ
物語の背景や設定もおそろかに長々と誕生祭アートやって、主人公すらおろそかになっているじゃないか
海や空と出会い徐々にインディーズジョーンズなみのハラハラドキドキの海底冒険しながら誕生祭に突入してほしいわw
冒険とは未知の恐怖に好奇心が打ち勝つ物語だからね
ハラハラドキドキの誕生祭のクライマックスで私は飛べる!と台詞を入れなら最高だw
大したことないことをコネクリ回して難解にする馬鹿監督か?
そんなん退屈で嫌々見せられて感が強く時間も超絶に長く感じるぞ
賢い監督は難しいことをわかりやすく愉しく伝えるんだよ
そんな作品はあっという間に時間が過ぎ、もっと作品の世界に浸っていたいほど心が満たされるもの
「怖くなかった、綺麗ですごかった」
「空くんと海くんはどこに消えたの?」
「(ストーリーは)きちんとわからないけど、もう一回見に行きたい」
いろいろ質問されてもうまく説明してあげられなかったが、とにかく気に入ったようだ
海くんが完全に消えたところではボロボロ泣いていた
素晴らしいお子様をお持ちだ…。
海君と空君には、風薫る砂浜でまたきっと会えるんだよ、と歌ってあげて下さい。ファルセットでw
奇しくも少し前に見たバースデーワンダーランドとかぶる
主人公の存在感薄いのと日常パートのオチが友人との和解
バースデーワンダーランドと海獣の子供を比べたらさすがに海獣がかわいそう
逆に、その陳腐さや幼児アニメ作っていた凡庸さがイカれた原作を中和してやりすぎず見やすい映画になってると思う。
その凡庸さや陳腐さがないと、マインドゲームみたいにヤクをやりまくったやりすぎ映画になって地に足つかなくなる。
押井守曰く「商売である以上、ある程度の凡庸さは必要。やりすぎると誰もついてこなくなる」
作品は観客を置き去りにしたってこんなふうにそれを普通に理解して素晴らしいと思う人も世の中にはいるんだよとw
娯楽に徹するにしてもなんにしてもそれをどう納得いくものとして見せられるかなんだろうし
さて、どんな映画になるのやら
あれを周回するだけでもかなりの満足度。4分で済むし。
後日談としても重要なエピソードだし。
なんかスタッフロールを強制的に見せられてるようで、嫌な慣習だなと思う。
作曲は米津玄師でも曲の細かいアレンジは音大出身の別の方らしいと読んだけど、あのアレンジも海獣の子供に合ってた感じするし、久石譲の今回の音楽的な挑戦を喰ってしまった感があるくらいはいいと思う
そのアレンジされた方が海獣の子供の音楽全般を担当したらどんな音楽になっただろうとか思ってしまう
そして普通にこの映画のCMするよりもあのMVひとつが宣伝として最大の効果をあげたように思う
歌詞あれ完成度高すぎてビビるw
同じ「言葉」でも詩の言葉は音楽に近い、とか、唄は人の心を動かし空間を揺らし、いつか歴史だって星だって動かせるもの、とか五十嵐大介はうたというのを繰り返し重要なファクターとして描くけど、
米津玄師のあの歌聴いてると、そのレベルまでイッちゃってる気がするわw
なんか波の音とか鼓動とか、篭ってる感とか、胎内や海っぽい音づくりになってるよな。
気になった人はそれをチェックして判断してみるといいよ
そうなんだ
情報ありがとう
探ってみる
ただただ尊敬する。
誕生との対比になる死や古さ、みたいなものもしっかり描こうとしてるよな。
ヘリコプリオンをカットしなかったのもそういう意味だろうし。
空君に集るフナムシや、一瞬のマッコウクジラの口のアップはショッキングで良かった。
だってもっと米津曲バンバン流して、PV風にしたら売れそうだけどやらないんだもん。偉いわ